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2018.11.19
- BLOG
ミスコン
なぜミスコンには批判が生まれるのか?
この秋、いろんな大学でミスコンが学祭で開催された。
見た目やそれぞれの特技を競い合い、人に順位がつく。
そして、そこには必ずと言っていいほど批判が起きる。
「全然可愛くないやん」
「そんなんでミスコン出るってやばくない?」
という出場者の見た目に関する批判から始まり、
「見た目に順位つけるなんて差別だ!」
「人権侵害だ!」
というミスコンの趣旨そのものの批判まで目立つ。
特に京都大学では、
ミスコンは人権侵害だ!というような糾弾活動により
企画されたミスコンが中止に追い込まれた過去がある。
ここで疑問が生まれる。
なぜミスコンだけが批判されるのか?
世の中にコンテストと呼ばれるものは腐るほどある。
お笑いコンテスト、歌声コンテスト、俳句コンテスト、フォトコンテスト、演技コンテスト、など挙げだしたらきりがない。
これらのコンテストには、ミスコンほどの批判があるかと言われるとそんなに聞いたことがない。
ミスコンだけがなぜか多くの人の批判が盛り上がるのだ。
この違いはなんなのか?
思うに、コンテストの評価対象に「人の見た目」があるかどうかだ。
問題はなぜ見た目の評価だといろんな批判が起きて、そのほかの絵のうまさだったり演技力だったりお笑いなんかは批判されにくいのか?ということだ。
1つの仮説は
努力して手に入れたものではなく、生まれながらに持っているもので比較評価されることに批判が起きる。ということだ。
一般に「差別」という言葉は
男女差別とか人種差別とか部落差別なんかが言われる。
男として生まれるか、女として生まれるかは選択できない。
人種も努力でどうにかなる問題ではない。
部落なんて本人にはどうしようもない。
これらの”自分自身ではどうしようもコントロールできないもの”で勝手に評価されて
チャンスが奪われたり、蔑まれたり、批判されることは理不尽以外の何物でもない。
では、見た目はどうなのか?
生まれながらにして見た目は選べない。
私だって欲を言えば
身長は180cm以上欲しかったし、
足ももっと長く生まれたかったし
福山雅治のような渋い声で
色気のある顔に生まれたかった。
確かに、自分ではどうしようもできない見た目で比較評価されて、勝手に順位づけされることは理不尽極まりないのかもしれない。
ところが、である。
以前、「かわいいはつくれる!」という花王のシャンプーのCMがあった。
「かわいいはつくれる」とネットで検索すると
化粧によって別人に生まれ変わる驚きの動画や写真記事がたくさんある。
驚いた。
「可愛いは作れる」は真実だった。
こうすると、見た目というのは生まれ持った自分ではどうしようもできないアンコントローラブルなものではなく、ある程度自分の努力次第で変更可能なものなのかもしれない。
実際に、モデルをやっている友人がいるが
食事、髪の毛やお肌の手入れ、睡眠時間、運動などなど、あらゆるところに気を使っていて
「こんなに自分の人生を見た目の維持に投資しているのか!」と驚いたことがある。
見た目の美しさは
ほっといて手に入るものではないのかもしれない。
そう考えると
ミスコンとお笑いコンテストやフォトコンテストにはなんの違いもないのではないか?と思う。
必死に努力して自分の体型を維持して、「美しさ」を研究して、努力しているのだ。
評価しないほうがかわいそうという意見さえ生まれる。
個人的な見解だが
結局、見た目で批判している人ってただの嫉妬なんじゃないかと思う。
本当に興味ない人には関わらないだろうし、
自分には到底できないチャレンジをしている勇気に嫉妬しているんじゃないのかなと思う。
実際、僕も嫌いだなと思う人は
嫌いと思う一方で羨ましいと思う自分がいる。
あれだけ空気読まずに生きれるってすごいな、と思う。
「人は何か得るものがあるからその行動をする」とカウンセリングを受けている時に先生に言われたことがある。
批判する人は
何かを得たいがために、批判しているのだ。
批判することによって何を得ているのだろうか?
自分は間違っていない。あの人が間違っている。という深層心理の嫉妬の肯定化なんじゃないだろうか。
また、別の観点では
ミスコンはいろんな人が人生を変える場になり得る。
九大のミスターコンテストが個人的にはツボだった。
九大のエントリー者だが、控えめに言ってもカッコいい。
この人なんてなんかジャニーズにいそうだし、
この人なんかめちゃ可愛い(男の僕でさえちょっと萌える)
この人なんて反則なんじゃないかと思う。
そんな中、グランプリに輝いたのはこの人だ。
念のため、もう1度いう。
こいつだ。
そもそもプロフィールがふざけている。
批判されようがされまいが、なんてことはない。
自分の道を突き進んでいる。
1年生でありながら大学中で有名になり、
ツイッターでは投稿すると何十人何百人にリツイートされる。
影響力がすごい。
話は変わるが、ある人と話をしていて、
「影響力」の定義は何か?
という話になった。
そこで出た結論が
影響力がある。ということは
「言った通りになる。」ことなのではないか?ということだ。
「影響力がある人」と聞いて誰をイメージするだろうか?
大企業の社長や、総理大臣、ツイッターのフォロワーが多い人やユーチューバーあたりだろうか?
そういう人たちは大概影響力がある。
言った通りになっている。
ソフトバンクの孫正義さんは
創業日に社員を集めて
「わが社は5年以内に100億円、10年で500億円、いずれ1兆円企業になる」と演説したらしい。
言った通りに進んでいる。
ユーチューバーのヒカキンは豪雨被害への寄付を動画で呼びかけた。
「仮にですけど、今この動画を見て下さってる100万人の方が全員100円ずつ募金したと考えると、1億円になります!」と動画で言うと、
翌日には寄付金が2億円を超えたらしい。
言った通りになっている。
このミスター九大の伊藤くんも
今回のコンテストを利用して大きな影響力を手に入れているし、
チャレンジしなければ手に入らなかったものを数多く手にしている。
ミスコンは何位になったのか?ということが結果として語られるが
その過程において影響力を持つようになったり
今まで出会うことのなかった人に出会ったり、
今までやることのなかったことをやり始めたり
いろんな機会に恵まれる。
それだけでも出場する意味がある。
実は今度、
京都でミスワールドが開催される。
日本の歴史上初のミスワールド京都大会である。
ミスワールドとは
「目的をもった美(Beauty With A Purpose)」を審査する大会で、外見だけでなく、日々考えていることや、日頃どんな活動をしているのか?などいろんな観点で評価がなされる。
(実際、社会貢献度やプレゼン能力など、知性が大きく評価される)
世界的なミスコンの中で唯一水着審査がないことでも有名だ。
実は私、運営にとある縁があって関わっていて
申込締切が11月30日と迫っているんです!!!(急に敬語)
エントリーは、日本国籍である16歳6か月以上、26歳以下の女性ならだれでもエントリーできます!
オンライン、はがきでの応募どちらもあります!!!(勢い)
書類審査通過後は
なんと今流行りのパーソナルトレーニングを始め、華道や茶道のお稽古などがあるんです!!!!!
(しかも無料)
自己成長は間違いないですね。
あと、普通に生きていたら体験できないいろんな経験ができちゃうわけです。
一生ものの経験です。
自分を変えたい
一気に綺麗になるきっかけをつくりたい
いろんな体験をしてみたい
何かにチャレンジしてみたい
影響力をもちたい
そんな人は、
こちらからエントリーしてください!
http://www.mwj-kyoto.com
聞きたいことがある!
質問したい!
と言う場合
私に連絡ください^^
ishida@sugoikaigidosue.jp
何かのきっかけが生まれればこれ以上嬉しいことはありません。
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この秋、いろんな大学でミスコンが学祭で開催された。
見た目やそれぞれの特技を競い合い、人に順位がつく。
そして、そこには必ずと言っていいほど批判が起きる。
「全然可愛くないやん」
「そんなんでミスコン出るってやばくない?」
という出場者の見た目に関する批判から始まり、
「見た目に順位つけるなんて差別だ!」
「人権侵害だ!」
というミスコンの趣旨そのものの批判まで目立つ。
特に京都大学では、
ミスコンは人権侵害だ!というような糾弾活動により
企画されたミスコンが中止に追い込まれた過去がある。
ここで疑問が生まれる。
なぜミスコンだけが批判されるのか?
世の中にコンテストと呼ばれるものは腐るほどある。
お笑いコンテスト、歌声コンテスト、俳句コンテスト、フォトコンテスト、演技コンテスト、など挙げだしたらきりがない。
これらのコンテストには、ミスコンほどの批判があるかと言われるとそんなに聞いたことがない。
ミスコンだけがなぜか多くの人の批判が盛り上がるのだ。
この違いはなんなのか?
思うに、コンテストの評価対象に「人の見た目」があるかどうかだ。
問題はなぜ見た目の評価だといろんな批判が起きて、そのほかの絵のうまさだったり演技力だったりお笑いなんかは批判されにくいのか?ということだ。
1つの仮説は
努力して手に入れたものではなく、生まれながらに持っているもので比較評価されることに批判が起きる。ということだ。
一般に「差別」という言葉は
男女差別とか人種差別とか部落差別なんかが言われる。
男として生まれるか、女として生まれるかは選択できない。
人種も努力でどうにかなる問題ではない。
部落なんて本人にはどうしようもない。
これらの”自分自身ではどうしようもコントロールできないもの”で勝手に評価されて
チャンスが奪われたり、蔑まれたり、批判されることは理不尽以外の何物でもない。
では、見た目はどうなのか?
生まれながらにして見た目は選べない。
私だって欲を言えば
身長は180cm以上欲しかったし、
足ももっと長く生まれたかったし
福山雅治のような渋い声で
色気のある顔に生まれたかった。
確かに、自分ではどうしようもできない見た目で比較評価されて、勝手に順位づけされることは理不尽極まりないのかもしれない。
ところが、である。
以前、「かわいいはつくれる!」という花王のシャンプーのCMがあった。
「かわいいはつくれる」とネットで検索すると
化粧によって別人に生まれ変わる驚きの動画や写真記事がたくさんある。
驚いた。
「可愛いは作れる」は真実だった。
こうすると、見た目というのは生まれ持った自分ではどうしようもできないアンコントローラブルなものではなく、ある程度自分の努力次第で変更可能なものなのかもしれない。
実際に、モデルをやっている友人がいるが
食事、髪の毛やお肌の手入れ、睡眠時間、運動などなど、あらゆるところに気を使っていて
「こんなに自分の人生を見た目の維持に投資しているのか!」と驚いたことがある。
見た目の美しさは
ほっといて手に入るものではないのかもしれない。
そう考えると
ミスコンとお笑いコンテストやフォトコンテストにはなんの違いもないのではないか?と思う。
必死に努力して自分の体型を維持して、「美しさ」を研究して、努力しているのだ。
評価しないほうがかわいそうという意見さえ生まれる。
個人的な見解だが
結局、見た目で批判している人ってただの嫉妬なんじゃないかと思う。
本当に興味ない人には関わらないだろうし、
自分には到底できないチャレンジをしている勇気に嫉妬しているんじゃないのかなと思う。
実際、僕も嫌いだなと思う人は
嫌いと思う一方で羨ましいと思う自分がいる。
あれだけ空気読まずに生きれるってすごいな、と思う。
「人は何か得るものがあるからその行動をする」とカウンセリングを受けている時に先生に言われたことがある。
批判する人は
何かを得たいがために、批判しているのだ。
批判することによって何を得ているのだろうか?
自分は間違っていない。あの人が間違っている。という深層心理の嫉妬の肯定化なんじゃないだろうか。
また、別の観点では
ミスコンはいろんな人が人生を変える場になり得る。
九大のミスターコンテストが個人的にはツボだった。
九大のエントリー者だが、控えめに言ってもカッコいい。
この人なんてなんかジャニーズにいそうだし、
この人なんかめちゃ可愛い(男の僕でさえちょっと萌える)
この人なんて反則なんじゃないかと思う。
そんな中、グランプリに輝いたのはこの人だ。
念のため、もう1度いう。
こいつだ。
そもそもプロフィールがふざけている。
批判されようがされまいが、なんてことはない。
自分の道を突き進んでいる。
1年生でありながら大学中で有名になり、
ツイッターでは投稿すると何十人何百人にリツイートされる。
影響力がすごい。
話は変わるが、ある人と話をしていて、
「影響力」の定義は何か?
という話になった。
そこで出た結論が
影響力がある。ということは
「言った通りになる。」ことなのではないか?ということだ。
「影響力がある人」と聞いて誰をイメージするだろうか?
大企業の社長や、総理大臣、ツイッターのフォロワーが多い人やユーチューバーあたりだろうか?
そういう人たちは大概影響力がある。
言った通りになっている。
ソフトバンクの孫正義さんは
創業日に社員を集めて
「わが社は5年以内に100億円、10年で500億円、いずれ1兆円企業になる」と演説したらしい。
言った通りに進んでいる。
ユーチューバーのヒカキンは豪雨被害への寄付を動画で呼びかけた。
「仮にですけど、今この動画を見て下さってる100万人の方が全員100円ずつ募金したと考えると、1億円になります!」と動画で言うと、
翌日には寄付金が2億円を超えたらしい。
言った通りになっている。
このミスター九大の伊藤くんも
今回のコンテストを利用して大きな影響力を手に入れているし、
チャレンジしなければ手に入らなかったものを数多く手にしている。
ミスコンは何位になったのか?ということが結果として語られるが
その過程において影響力を持つようになったり
今まで出会うことのなかった人に出会ったり、
今までやることのなかったことをやり始めたり
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それだけでも出場する意味がある。
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日本の歴史上初のミスワールド京都大会である。
ミスワールドとは
「目的をもった美(Beauty With A Purpose)」を審査する大会で、外見だけでなく、日々考えていることや、日頃どんな活動をしているのか?などいろんな観点で評価がなされる。
(実際、社会貢献度やプレゼン能力など、知性が大きく評価される)
世界的なミスコンの中で唯一水着審査がないことでも有名だ。
実は私、運営にとある縁があって関わっていて
申込締切が11月30日と迫っているんです!!!(急に敬語)
エントリーは、日本国籍である16歳6か月以上、26歳以下の女性ならだれでもエントリーできます!
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書類審査通過後は
なんと今流行りのパーソナルトレーニングを始め、華道や茶道のお稽古などがあるんです!!!!!
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あと、普通に生きていたら体験できないいろんな経験ができちゃうわけです。
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http://www.mwj-kyoto.com
聞きたいことがある!
質問したい!
と言う場合
私に連絡ください^^
ishida@sugoikaigidosue.jp
何かのきっかけが生まれればこれ以上嬉しいことはありません。