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2018.7.23

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ふぃーどばっく

昔から(おそらく小学生くらいの頃から)
自分を確立している人に惹かれます。

外見や能力の有無や、ユーモアさ、などは関係なく
自分を持っているかどうかに興味がありました。

逆に言うと、いかに外見がよかったり
能力が高かったり、ユーモアがあっても
自分を持っていない人は一緒にいてもあまり面白くないなぁと感じます。


フィードバック

という言葉があります。
親から、友達から、上司から、社外の人から、投資家から、
いろんな人からフィードバックを受ける機会が世の中にはたくさんあります。


フィードバックの語源は軍事用語みたいです。
「ミサイルが標的まで正確に届いているかどうかの状況を伝える」という意味からきているようです。

軌道が逸れたら、軌道に戻るように伝え、
軌道上にいるときはそれでよいと伝える。

すなわち、フィードバックとは
標的がどこなのか?が合意されていないと成り立たないわけです。

日々の生活の中で
標的を確認せずに勝手にフィードバックする場面に何度も遭遇してきました。

例えば、
「市場価値なんて興味がない。旦那さんのサポートを全力でやって、趣味でお小遣いを稼げたり、近所のコミュニティで豊かに暮らしていたい。」
と思っている就活生に対して、
「そんな考えじゃ、市場価値の低い人間になる!もっと専門性が身につき、裁量権がある環境にいくべきた!」
などと言う人事がいたとすると

大きなお世話です。
A地点に行きたい!と考えて進路を考えている人に、
B地点に行くためには?という前提でフィードバックがなされます。

これはフィードバックなんかではなく、価値観の押し付けです。

大好きな人のサポートをしていくためにはどんな能力が必要だと思う?
もし、大好きな人と別れることになったとしたらその時はどうするの?

こういった会話は相手の標的を基準に話が展開されています。
フィードバックそのものです。

上司や部下、
友人関係
恋人との会話
取引先と

いろんな場面で"フィードバックまがい"のコミュニケーションが起きますが、

本当に標的が合意されていますか?
の確認は慎重にしないと関係性に溝ができる一方になってしまいます。

また、
私もよくそうなるのですが
そもそも自分の標的はどこなのか?
がわからなくなる時があります。

ここに行くぞ!
と思っていても、実は行きたいところは違う場所だったり、

あそこに向かっているんだ!
と思っていても
実は全く違う方向に進んでいることがあります。

フィードバッカーは
・標的はどこなのか?
・標的に向かえて進んでいるのか?
の2点をサポートすることが求められます。

フィードバックする時、
フィードバックされる時、

気をつけたいポイントです。

おせっかいになるのか、そうでないかは
標的の合意だなと感じた機会でした。


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KAWAI-TAIRIKU 川井大陸