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2016.4.4

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言葉に隠された意味


すごい会議の社員って何するの?とよく聞かれますが
端的に言うと「会議の司会進行」です。

つまり言葉が商品です。どのタイミングでどんな言葉を使うのかについて日々の会話でも考えるようになりました。
最近気づいた言葉に関する洞察を今回は書きます。

◯漢字編
僕の尊敬する植松努さんのブログで見たのですが「人の為」と書いて「偽」と書きます。自己満足や自分の幸せの伴わない慈善事業や貢献活動、社会活動ほど醜いものはないなと感じました。漢字の成り立ちってすごいなと。漢字作った人たちってどんな人なんだろうなと非常に興味が湧きました。

◯会話編
人と人が会話をしている時の
「難しい」「分からない」という言葉の威力を実感しています。
会話していて「難しい」「分からない」といった瞬間にその会話が収束に向かい、
何も前進しなくなることに気づきました。
おそらく自分の中で「難しい」「分からない」「無理」と思った瞬間に思考が停止するんだと思います。

最近は「難しい」「分からない」「無理」を自分の中で禁句にしています。(けっこう言いそうになるときがある)

◯英語編
会社を上げて全員で英語を勉強しているのですが、英語を勉強していても色々気づきがありました。
能動態と受動態についてです。
当たり前のことですが
能動態の動詞の主導権は自分にあり、受動態で使われる動詞の場合主導権は自分の外にあります。
例えば楽しむ(enjoy)苦しむ(suffer)愛する(love)などは能動態で使われます。たまに楽しくなかったり、苦しかったり、愛せないものがあると
あたかも原因を自分の外に求める時がありますが、あくまでも主導権は自分にあるわけで、「楽しい」や「苦しい」や「愛」を作っているものは自分に他なりません。
どうやったら楽しくなるか、どうやったら楽になるか、どうやったら愛せるのかを考え自分を変えられるのは自分だなと。楽しい環境や楽な環境を求めてもあまり意味が無いなと感じました。

対して受動態は自分以外に主導権があります。
I was born in Miyazaki.
生まれるか生まれないかは自分ではどうしようもできません。
I was impressed by the movie.
感動しよう!と思っても感動できないです。何かを見たり、聞いたり、体験するという外部要因によって感動が湧き上がってきます。
そんなことを考えていると喜びであったり驚きであったり、感動など受動態で使われる動詞こそが私の幸せを形作っているんじゃないかなと思いました。

自分の幸せは何かというちょっと哲学チックなことをたまに考えるのですが、
どんな時が楽しいのか は結局自分次第なのであまり価値のある問ではないのかなと思いました。
どんなときに喜びを感じるのか、どんなときにワクワクするのかという問のほうが本質的な幸せに近い気がしました。

言葉って面白いな!と今興味が最大限高まっているので
言語学などに関するオススメの本があればぜひ教えて下さい!
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KAWAI-TAIRIKU 川井大陸