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2017.2.26

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意義と意味

「やりたいことがわからない」「生きる意味がわからない」という人が近年急増していることに対して
精神科医が「生きがいとは何か?」と書いた
「仕事なんか生きがいにするな」という本を最近読んだのですが

そこには
【「意義」とは我々の「頭」の損得勘定に関係しているものなのですが、他方の「意味」とは「心=身体」による感覚や感情の喜びによって捉えられるものであり、そこには「味わう」というニュアンスが込められています。(中略)常に「価値」を生むことを求められてきた私たちは「有意義」という呪縛の中でもがき続けていて、大切な「意味」を感じるような生き方を想像する余裕すらないような状態に陥ってしまっている。】

と書かれてありました。


ふと意味、意義、そして価値という言葉について考えたのですが
日本語には

「無意味」という言葉はありますが、「有意味」という言葉はあまり使われません。
「無価値」という言葉はありますが、「有価値」という言葉はあまり使われません。
ところが意義になると逆で
「有意義」という言葉はありますが、「無意義」という言葉はあまり使われません。

言葉がないということは
その言葉の示す概念が日本に存在していないということだと思います。
(「勿体無い」という日本語が「勿体無い」という概念の存在しないアメリカで”MOTTAINAI”という英語になったように)

そもそも
「意味」「意義」「価値」という言葉はそれ単体だけで
すでに存在している解釈をする傾向があると思います。
(「意味」と聞くとまるで意味がそこにあるかのように感じる)

とすると
なぜ「無意義」という言葉が一般的でないのか、「有意義」という言葉が一般的なのかが不思議でたまりません。

「すべてに意義はあって当たり前」という根本的な思想があるのでしょうか?
すべての言動に意義はあるはず、という立場に立つと確かに「無意義」という言葉は必要なくなります。

人生に意義を求めることは世間的に求められるけれども
人生に意味を求める(味わいを求める)ことは世間的にあまり求められていないように感じます。

損得や善悪を常に求めるのが日本人の傾向としてあるのかなと思います。
(即ち全ての事柄に意義を求めようとすること)
では、何を基準に意義を判断するのかというと自分のやりたいこと、ありたい姿にとっての損得や善悪です。

そうすると、
自分が何をしたいのか
どうありたいのか?が意義を決定する上で非常に重要な要素です。

ただ就活生と話をしていて「やりたいことがわからない」という学生に死ぬほど会ってきましたし、
かく言う私自身がそうでした。
(今も明確か?と言われるとそうではない。)

やりたいことが分からない根本の原因は能動性だと思います。
自分で試行錯誤しながら必死に色々チャレンジして頑張っている人がいるとしても、それが親に喜んで欲しいからなどという理由であれば
真の意味での能動性はそこにはありません。
能動的に考える癖がない人に「なんでもいいからやりたいことは何ですか?」と聞いてもいまいちピンとこないんじゃないかなと感じます。


実際能動性がなくても今の時代生きていけますし、一般的な「幸せな生活」は手に入ると思います。

ただそんな人生は真の意義も意味も価値もないのではないか?
とそんなことを考えています。

どう生きるか?を問う1週間にします。





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KAWAI-TAIRIKU 川井大陸