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2018.2.2

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褒め方

先日後輩から
「一眞さん、素晴らしいですね!」と言われました。


ムカつきました笑


人を褒めて伸ばすなんて言葉がありますが、
褒められてイラっとしました。
【褒める】というコミュニケーションにはいろんな区別が隠れていると思います。

年上の尊敬している方から
「素晴らしいね!」と言われると
多分私は嬉しいです。
ここは何が違うか?というと上下関係が違います。

褒めるというコミュニケーションは上下関係を前提に成り立っているのではと感じました。

褒める、というのは一方的な評価です。

すごいです!
かっこいい!
可愛い!
頭がいい!
仕事ができる!

暗として
(おれからすると)すごいよ。
(私からみて)かっこいいよ。
(僕的には)可愛いよ。

というそんなニュアンスが込められています。
目上の人、そんけいしている人から褒められると嬉しいですが
対等な立場の人であったり後輩から言われると

「お前なんかにいちいち評価されたくねぇよ」

が起きる場合があります。
(これ、あなたは経験ありませんか?単に私が性格悪いだけであればこの話は終わりです笑)


また、褒めるという行為のデメリットとして
正解の押し付けとも捉えられることがあります。

例えば、
「髪短くしたほうがかっこいいね!」
と褒めると、ちょっと極端ですが、
暗として
(髪型は長めにするより短くしてください。短いの似合ってませんよ。)
と言っています。

「明るい挨拶が素晴らしいね!」と言うと
(挨拶は今みたいに明るくしたほうがいいよ。)という心の声が聴こえてきます。

褒めるコミュニケーションは評価者の価値観の押し付けなのです!

とここまで褒める行為のデメリットを述べましたが、
当の私自身褒められたら嬉しいです。

それに最近、
色んな新しいサービスを自分で作っていると
「本当にカズマは新しいものを作る能力が高いよね」
「天才的だね」
などと褒めてくださる方が周りにいらっしゃいます。

そう褒められると、
やる気が出ます。
もっといいもの作ってやろう。とか
もっと新しいもの作っていこう!という動機付けが起きます。

これらは褒めることの強烈なメリットだと思います。
人は褒められるとよりその人間になろうとします。

一方で、褒められること=正義という世界に行ってしまうと
褒められることしかしなくなり、自分の軸がなくなってしまいます。
何が正しいのか?何が効果的なのか?という発想から
何したら褒めてもらえるか?を考えてしまいます。
これはこれで本質的ではないなぁと思います。

安直にただ褒めればいいってものではないようです。

また、最近意識していることとして

主語を自分にして話す

をやっています。
明るい挨拶ですごくいいね!
→今の挨拶でめっちゃ元気出たよ!

返信のスピードが速くて素晴らしい!
→返信のスピードが速くてすごく助かってる!

めちゃ可愛いね!
→なんかドキッとしたよ!

みたいな感じです。
主語を自分にして話した瞬間に
評価者ではなくなります。
シンプルに「私はこう感じた」と言っているだけなので
相手からすると非常に受け止めやすいです。

「返信速くて本当に仕事できるよね!」
と言うと
「いやいやそんなことないですよ!」
という否定のコミュニケーションが起きたりしますが
「返信速くてものすごく助かるよ」と言うと
「本当ですか?よかったです!」
と肯定的な言葉が返ってきやすくなります。

これだと評価者でないので
目上の人であろうが、後輩であろうが対等な関係性であろうが
どんな人でも効果的に褒めることができます。


お互いを認め合い、褒めるコミュニケーションを効果的に扱って気持ちのいい会話がそこらじゅうで繰り広げられたら最高です。

褒めるに関して
色々書きましたが
このブログのことを褒めてもらえていてすごくやる気になっているので
もっと褒めてください。

宜しくお願い致しますw
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KAWAI-TAIRIKU 川井大陸