強み/弱み

学生時代、就職を意識し始めた頃に

「自分の強みはなんだろうか?」と言う問いに答えられない自分がいました。

自分の問題点や欠点はいくらでも出てくるのですが、強みと言われて
人と比べて自分が秀でているところって何があるのだろうか?
と考えても何も出てきませんでした。

そんな時、先輩に
強みなんて考えないで
人と自分の違いは何かって考えたら?と言われて

周りの友達と自分の違いは何か?を考え続けると色々と出てきました。

前向き思考
とりあえず行動する
人を小馬鹿にするのが好き
やり方がわからない中で何かを決めてなんとかしてきた
無能だと思われたくない
本質的な自信がないのに自信があるように振る舞える

などなどたくさん出てきました。
どれも強みと言われれば強みと言えるし
弱みといえば弱みです。

そんな中で強みと弱みって紙一重だなぁとふと思いました。

すごい会議は「人」を扱う仕事なので
人を知り、そして自分自身を知る必要性が職業上大きくあります。

月に何度か「人」に関する気付きや洞察を深めるために勉強会を開いたりしているのですが
先日、

「あなたは誰ですか?」

という質問に5分間答え続けるというカオスなワークをやりました。
2人1組になって、ひたすら片方が5分間、「あなたは誰ですか?」と聞き続け、
答える側は2度同じ答えを言ったらいけないというルールのもと延々と答え続けるというワークです。

初めは
「石田です。」
「九州男児です。」
「日本人です。」
みたいな答えを言っていたのですが

だんだん答えがなくなってきて

「地位や権力には興味がありません。」
「カラスが苦手です。」
「人を応援することが好きです。」
「プライドがないと思っているけど、度々プライドが邪魔するカッコ悪い人間です。」
「脆いです。」

など自分は何者か?ということに関していろんな答えが勝手に口から出てきました。

非常に多くの学びがあり、面白かったし、
5分間で相手のことを結構知ることができました。

そんな内容をしながら対話をしていって

自分の最大の弱みは何か?
という話になりました。

私の場合
最大の弱点は
盲目的な楽観主義者であることです。

人生なんとかなる。
とずっと思ってしまいます。

旅の準備も当日にしますし、
海外に行くときは宿など決めて行くことがほとんどありません。
人生で悩んだことはあっても落ち込んだことはありません。
海外でカジノに行った時は「どうせ勝てる」と本気で思っていました笑
引越は引っ越す当日に荷造り始めました。

ずっと私は自分のダメなところだなと思っていました。
楽観主義が行き過ぎているせいで人に迷惑をかけたこともありますし、
自分が不利益を被ったことも何度もあります。

ただ、対話していく中で
自分の弱みが強みをさらに強くしているという話になりました。

私の「盲目的な楽観主義」という弱みは
行動力であったり、サバイバル力であったり、落ち込まずに前進し続けるというような強みの形成・強化をしているなと気付きました。

弱みは弱みとしてあるのだから
これを隠そうとせずに受け入れたほうが楽だなと。
認めてしまって、さらけ出してしまって
あとはそれをどう扱うかを決めるだけだなと。

弱みに感謝する
弱点を誇りに思う

という今までに全く無かった文脈を手に入れた時間でした。

trouble/challenge

新卒採用をやっていく中で私は毎週何人もの学生と面談します。
そんな中で、
「給料自分で決める」とか、
「出勤がない」とか
「同期がいなくて1番歳の近い人が10歳上」とか
不安じゃないですか?と聞かれることがあります。

不安です。

人生は不安や問題や失敗の繰り返しです。
むしろ、不安や問題や失敗のない人生は至極つまらないものだと思います。

ボーリングで何回投げてもストライクしか出なかったとしたら、誰もボーリングに行かないです。ガーターがあったり、スプリットがあったり、1ピン残ったりするからこそ面白いんだと思います。

私からすると、どすえに入社せずとも誰にでも不安はあると思います。

大企業に入るとしても、
どの部署に入るんだろう?
上司はどんな人なんだろう?
同期とうまくつきあえるか?
勤務地はどこだろう?

不安要素は無数にあります。

ベンチャーに行く人も
会社潰れないかな?
自分の時間ってあるのかな?
自分のやりたいこと本当にできるのかな?

不安要素は無数にあります。

何か新しいこと、やったことがないことにチャレンジしようとすると問題が起きます。
なぜならば、うまくいくかどうかはやってみないと分からないからです。

私は教育に関心があってこの仕事を始めたのですが
私の教育とは何か?という問いの答えは
「問題や失敗との向き合い方を学ぶこと」です。

人生においてどんな選択をしても問題や失敗はつきものだと思います。
小学校や中学校に通っていると
友達とうまくいかない。
授業についていけない。
宿題が間に合わない。
忘れ物をした。
たくさんの問題が起きます。

問題が突然降ってきた時に色んな解釈ができます。
「最悪だ。」
「なんとかしてやろう。」
「どうしよう?」
「帰りたい。」
「おれはツイていない。」
「これ解決したらどうなるだろう?」

問題に直面した時に何を思い、どう行動するかでそのあとどんな道を歩んでいくのかが変わります。

「失敗には達人というものはない。人は誰でも失敗の前には凡人である。」
ロシアの文豪プーシキンの言葉です。

この言葉にプーシキンがどんな意図を込めたのかは定かではありませんが、
私は
スティーブン・ジョブズだって、ビル・ゲイツだって松下幸之助だって孫正義だって多くの失敗を経験しているし、彼らのする失敗と私のする失敗はなんの違いもないんだ、という解釈をしました。
ただ得たい成果があってチャレンジしたけれど、その成果が得られなかった。という前では人は誰もが無力であるし、失敗というものは多くの場合初めて経験するもので、失敗のプロはいない。

だとするならば、
問題が起きた時、
失敗をした時、
不安になった時に

なにを考えるか?
どんな行動を取るか?が
凡人とそうでない人を分けるものそのものだと思います。

問題に出会った時に
被害者モードになっていたら要チェックです。
被害者モードになると一時的に楽ですが
問題は解決しません。

全ての問題の解決は、それがどんな問題であっても、私から始まる。
(自分の言葉と言いたいですが先輩から教えてもらった言葉ですw)

quest

あなたは今日、自分にどんな質問を投げかけましたか?

人は自分に質問することで思考し、行動しています。

今起きようかな?寝続けようかな?
今日何をしようかな?
何時に家出ようかな?
どんな服着ようかな?

常に自分に質問をし続けています。

社長になる人は「おれが社長だったらどう考えるか?」という質問を自分にしていた人の可能性が高いですし、
トップ営業マンになる人はきっと「1番になるにはどうしたらいいか?」「どうしたらお客様にもっと喜んでいただけるか?」と考えている可能性が高いです。

【どんな質問を自分にするのかで人生の質が大きく変わる。】
と先日ある人が言っていました。

たしかに、女の子とデートに行った時も
「どうやったらこの子を落とせるのか?」
「どうやったらこの子が喜んでくれるだろうか?」
「どうやったら早く帰れるだろうか?」
どんな質問を自分にするかで行動や表情や相手への影響は大きく変わります。

人の価値観も質問に現れます。

「売上はどうなってるんだ?」
という質問が飛び交う組織は
売上を意識している会社であり、利益をあげることを大切にしています。

「お客様はそれで満足するのか?」
という質問が飛び交う組織では
顧客満足度を意識している会社であり、お客様のことを大切にしています。

思っていないことは質問にできないです。

私自身は自分にどういう質問をしているのかというと
去年までは「どうやったら売上あがるんだろう?」ということでした。

そんななかで
昨年の12月は売上を一旦考えずにいよう。と思ってお客様や目の前の人にどうやったら価値を提供できるのか?
をずっと考えました。
そうすると結果としてそれまでよりも売上が上がるという体験をしました。

ある記事では
日本は起業したり、新規事業を立ち上げる時に「それはどれくらいスケールするのか?」「いくらくらいの市場があるのか?」「いくら儲かるのか?」というどれだけ利益になるのかという文脈の質問が頻繁に飛び交うらしいのですが

シリコンバレーでは「それは社会にどんな価値があるのか?」「本当に社会はそれで喜ぶのか?」というような価値に関する質問が多く飛び交う。と書かれてありました。

自分に対してする質問が間違っていたから結果が出なかったんだなと気付きました。

アメリカの心理学者のアウラーは
「あなたの脳をプログラムする最も強力な手段の1つが《小さな質問をする》というテクニックだ。」と言っています。

人間は脳で考え、行動をしているという立場にたつと、
脳みそさえうまくコントロールできれば人生最強なんじゃないかなと個人的に思っているのですが

脳みそをコントロールする1つの手段が自分への質問を変えることです。

そうすると
・どんな自分になりたいのか?
・そのためにどんな質問を毎日自分に問い続けるか?

この2つの質問を得ました。

プロトタイプ

【失敗】という漢字は最悪です。
失うし、敗けるなんて嫌です。
手に入れたいし、勝ちたいです。

ただ、失敗とは何か?という答えが人によって違うと感じています。

「それは失敗ではなくて、その方法ではうまくいかないことが分かったんだから成功である」
By エジソン

「あやまちは人間をきめない。あやまちのあとが人間をきめる。」
By東井義雄

「9000回以上シュートを外し、300試合の勝負に敗れ、勝敗を決める最後のシュートを任されて26回も外した。人生で何度も失敗した。それが成功の理由だ。」
Byマイケル・ジョーダン

「失敗とは、成功する前にやめることである。」
By松下幸之助

年始にすごい会議全体で新サービスを創り上げることを意思決定し、
色々な案を出して新サービスを考えています。

我々の合言葉は「fail first, learn a lot」です。
いち早く失敗して多くのことを学ぼうということです。

「吸引力の変わらないただ1つの掃除機」

と聞くとみなさん何を思い浮かべますか?

そうです。ダイソンの掃除機です。
ダイソンは2015年の売上3060億円利益806億円を超える成功企業ですが
メインの商品は掃除機です。

ではダイソンはこの売れ筋商品である掃除機を創り上げるまでに
何度失敗したか?(何回商品を作ったか)

5127回らしいです。

これは週1で新商品を作るペースみたいです。

そんなペースで失敗をし続けた結果今の栄光を手にしています。

そこで我々も絶対うまくいくサービスなんて分からない。
だったら早くプロトタイプを作って試してそこから改良を加えていこう!
という話になりました。

そんな中で社長と話していて
「おれら自身もプロトタイプだよな」ということを言われました。

確かに100%人生成功する人間なんていないと思うし、
これやったら絶対にうまくいく方法なんてないと思います。

そうすると”自分自身”が売れる商品なのかどうかは
市場で試してみないと分からないということです。

試してみて、反応を見て、
何を学び次にどう生かすか?
その圧倒的数こそが質を規定するのではないかと思います。

失敗するのは誰しも嫌なことなので
唯一正しい絶対的な正解を求めてしまいがち(私自身がそうです)ですが

そんなものはないと、
結局なにを選んでも間違っているという立場にたつと

「挑戦する」ことのハードルが一気に下がりました。

今年は人生で一番自分というプロトタイプを創りつづける年にします。

不可能を可能にする

「一見不可能に見えることを可能にし、問題解決を楽しむ組織を創ること」

これがすごい会議のミッション、使命です。

すごい会議は何をしているのか?
会議の生産性をあげます。
組織におけるコミュニケーションの安全を創ります。
誰でも主張できる環境を創ります。
約束を尊重できる会社を創ります。
などできることは色々ありますがひとことで言うと
「一見不可能に見えることを可能にして、問題解決を楽しむ」ことをお客様に提供しています。

組織には一見不可能に見えることがたくさんあります。
客単価を上げて客数を上げることも一見矛盾することですし
1年で売上を6倍にすることも一見不可能に見えますし
赤字だった会社を世界一の会社にすることも一見不可能です。

すごい会議はそれらの実現可能性を最大化します。

そして今回私はすごい会議コーチとして
一見不可能を可能にし、問題解決を楽しむことを体現するために

【アフリカのジブチ共和国に行ってダウンジャケットを100着売ってきます。】

ジブチ共和国はアフリカにある国で
世界一暑い国と言われています。
最高気温は72度らしいです。
夏は暑すぎてプールに入れないらしいです。

そんな国でダウンジャケット100着も売れるのか?

やり方は全く見えていません。
私がジブチ共和国に住んでいたら買おうと思いません。

4月にジブチに行ってきます。
100着黒字で完売してきます。

すごい会議メンバーの有志で行ってきます。
言語の壁もありますし、
ジブチ共和国がどんな国なのか
どんな人がいるのか全く分かりませんw

ぜひジブチ共和国に詳しい人がいたら教えて下さい。

いまどうやったら世界一暑い国でダウンジャケットを100着も売れるのかをずっと考えています。
また、ダウンジャケット代や渡航費などたくさんの問題を抱えています。

問題は嫌なものではなく、チャンスです。
問題は自分の人生をつまらなくするものではなく
自らの人生を次のステージにステップアップするために成長の機会です。

ジブチ、、、

あゝジブチ、、、

これを乗り越えた先に
どんな自分が待っているのか楽しみです。

ちなみになんでジブチにダウンジャケット100着売ることになったのか
よく覚えていません。

一見不可能に見えることを可能にし
自らの人生を可能性で溢れさせるので

生暖かい目で見守っていてください。

またこの場で報告していきます。

2016NO OWARI

2016年を振り返ります。
一言で言うなら「がむしゃら」な1年でした。

南米を旅して高山病と下痢に悩まされ上からも下からも源水垂れ流しになったり
フィリピンでの入社式で不覚にも泣いたり、
1ヶ月弱の練習でハワイのトライアスロンに出て25歳以下の部で3位になりました。

必死に頑張っているのに何の成果も出ない月が続いて、珍しく悩んだり、
お客様から「石田さんのおかげで本当に会社が変わりました」と言われて心が震えたり、
初体験のオンパレードでした。

人に会いまくって、この1年でFacebookの友達は1000人以上増えましたし
週に2回は何かしらのイベントや交流会に参加しました。

ぎっくり腰になって救急で運ばれた日以外は1日も休まずに仕事に取り組みました。

がむしゃらに駆け抜けたこの1年間で得たことはたくさんありますが、1つ挙げるならば
「当たり前のことを当たり前にやるためには、確固たる覚悟が必要だ」ということを学んだことです。

うちの会社には研修も何もないし、出勤もなくて人から教わる機会を与えられることが一切ないので、
新人のマナーや自己啓発に関する本を読みまくりましたが、書いてある内容は既に聞いたことのあることばかりでした。

言った期日を守る
時間を守る
相手の目を見て話す
人の話を聴く
相手の立場に立つ
giveする
感謝する
言っていることとやっていることの整合性を保つ
正直である
素直である
謙虚である
常に学ぶ
反省して次に活かす

そうです、
当たり前のことのなんと多いことやら、、

当たり前のことも1つ1つ実践するのは比較的容易ですが、全てをしっかり実践するとなると
私の中では難しさを感じました。

しかしながら、
当たり前のことを当たり前にやり切っている素晴らしい方々に数多く出会った1年でもありました。

そんな方たちの私の中での共通項は公私という概念がなく、常に一貫していた判断や行動をしていて仕事に対しては強い覚悟をもって取り組まれている方ばかりということでした。

覚悟というのは「おれにはこれしかない」という決意です。

思考は現実化する、という言葉がありますが、私にとってはもはや「思考しか現実化しない」です。
私の尊敬する方たちは「決める力」がすごいです。
決めた瞬間に、さも決めたことが手に入ったのかのように振舞います。

2016年はいろんなことをがむしゃらにやってきた1年でしたが、思い切って「決めたこと」が少なかったと反省しています。
とにかくなんでもやる。という在り方でした。
2017年は手に入れるもの、棄てるものをしっかりと決めて、余裕をもった年にします。

効率性/生産性/効果性

前回のブログで1ヶ月間毎日10キロ走ることを宣言しましたが
15日間今のところ続いております。

朝6時から仕事があるときには3時に起きて走りますし、
雨の日もなんとかして走りますし、
風を引いて熱があるときはさすがに走れませんでしたが10キロ歩きました。

残り半月まだ残っていますが
この2週間ちょっとで私が得たことは
時間の生産性はまだまだ高められるという気づきです。

10キロ走るのに45分−60分、準備運動、整理運動、シャワーで30分で
毎日90分はこのランニングに時間を使います。

24時間のうちの1.5時間ですが、どこにこの時間を確保するかを毎日一生懸命考えますし、
今の仕事量を出来る限り早く終わらせたいという意識が以前より強くなりました。

最近本屋に行くと心なしか「生産性」をテーマにした本が売れているように感じるようになったのですが
2015年の日本の労働生産性は先進主要国の中で最下位で
アメリカの約半分でした。
(日本の市場やビジネスモデルの構造、貨幣価値など一概に日本の生産性が国際社会において低いとは言えないですが、まだ生産性があげられるはずだという立場にここでは立ちます。)

努力を美徳とする文化があったり
意志決定のスピードが遅かったり
生産性が悪い原因は色々あるでしょうが

日本人の生産性が低い最も大きな要因は
「生産性を上げる動機をもつ必要性がないからだ」とある方が言っていました。

時間=賃金で終身雇用制が採用されていると生産性を上げる理由が特に持ちにくいです。
失業率で言うと
労働生産性の高いと言われる北欧諸国の失業率は日本の3倍弱ありました。

どのような理由で失業しているのか分かりませんが、
派遣社員や非正規雇用を外国よりもうまく活用できていないように感じます。

私自身、毎日10キロ走ることを実施していくことで、生産性を上げる工夫や能力が身についています。
要はそれまで「どうやったら生産性が上がるのか?」についてあまり考えていなかったということです。

極論、生産性上げていかないとクビになるという状況であれば必死に生産性を上げる思考が働くと思います。

そうすると、どうやったら常に生産性を考えて仕事できるようになるのか?ということですが
「生産性をあげないといけない」状況をどうやったら創れるのか?という疑問文の方が私の場合しっくりきました笑

最小の努力で最大の成果をどうやって上げるのか?
をテーマにする2017年にします。

約束の尊重

すごい会議では
「約束を守る」ことと「約束を尊重する」ことを区別しています。

約束を守ることと尊重することにはどんな違いがあるでしょうか?

どすえは現在5人の会社ですが先輩たちは怒ることがほとんどありません。
なにかやらかしても
「何を学んだか?」
「次からどうするか?」
と2つの質問をされるだけです。

ただ、先輩や社長がキレるのは
・言っていることとやっていることが違う時
・約束を尊重できていない時
・全く同じミスを繰り返した時

の3パターンです。

すごい会議ではクライアントである会社で
何をするかというと
単に会議の司会をしているのではなく
約束を尊重する文化と
言い訳をしない文化を短期間で創り上げるということをやります。

にも関わらず
それを創り上げる我々が
約束を尊重していなかったり、
言い訳をしていたら真の価値を提供することはできません。

組織において約束を尊重しないと何が起きるか?

約束が尊重されないことと言い訳をすることは私の中で同義です。

決めたことが守られないとすると
そこには決めたことを守れなかった理由が何かしら存在します。
これが言い訳に他なりません。

約束を守れないと分かった時に
約束を尊重している人であればどんな言動が可能か?
遅刻しそうなときに約束の時間の5分前に遅刻します!ということは私が言うには
約束を尊重できていません。
おそらくもっと早くわかっていたはずだからです。

1つ約束を破ってもいい事例ができると
人は約束を破っても許される理由を探し始めます。

だからどすえでは約束への責任が非常に重いです。
自分の言動に責任をもたなければすごい会議はやっていけません。

とまぁ色々と書いてきましたが
なぜこんなに書いているのかというと
先日どすえのミーティングに10秒ほど私が遅刻したからです。

恥ずかしながら私自身小学生のころから遅刻魔でした。
中学時代はどうやったら遅刻がバレずに授業に入れるか?ということを考え
先生にばれない学校へ入る道、
先生に見つからないように教室までのルートを見つけ出し
教室に着いたら廊下で授業に必要な最低限度の荷物を取り出し、
先生が黒板を向いている隙に教室にソーッと忍び込み、隠れながら
自分の席にたどり着き、何食わぬ顔で「最初からいましたけど?」と授業を受けていましたし

高校時代は
遅刻し過ぎで3者面談までセッティングされました。

大学時代も人を待っている時間がもったいないと考え、
約束の時間ギリギリに到着するように予定を立てていました。

そんな私は会社に入ってから何度か約束を尊重できていない時があり、
今回も約束の時間に遅れてしまいました。

学生時代社会人と接する機会が何度かありましたが
約束の時間に間に合わない社会人や、
期日を遅れる社会人はたくさんいました。

組織において
約束を尊重する、約束を守る。
この2つのことは簡単なようで非常に難しい永遠のテーマだと思います。

私自身が約束に対する接し方を改めなければなりません。
今までは「約束は守らなければいけないもの」とある種の義務感のように考えていましたが
今回をきっかけに
「クライアントにすごい会議を納品する者として、信頼される人間であるために約束を守る」という関わり方に変わります。

すごい会議という仕事をしている以上、
公私共にどんな約束も尊重する、というのが私の仕事です。

という戒めのために今回のブログを書かせてもらいました。
(ちなみに遅刻の解決策としてはお店で1番うるさい目覚まし時計買ったのと、戒めとして1ヶ月間毎日10km走ります)
読んでくださってありがとうございます。

教育の定義

「教育」とは何か?

Teachの語源は「明らかにする」「指し示す」で
教えるという漢字の成り立ちは左側が
老人と子供を意味し、右側の「のぶん」と呼ばれる部首は、「手で持った棒で何かを叩く」ことを意味します。

教えるということは
知らない状態、分からない状態から知る、分かるという状態にするように働きかけることだと認識しています。

かなりパワフルなコミュニケーションです。

一方で育むという漢字は「女性が子供を産む象形」から成り立っているみたいです。

教え、育むとはどんな状態を指すのか、
英語のeducation の語源も調べました。

educatioというラテン語に由来していて
意味は「動植物の生命を引き出し、それを飼育・栽培する」ことみたいです。

さらにeducation は
大きくするという意味のeducareと
引き出すという意味のeducereの2つの動詞に派生するみたいです。

内発的な成長と
外部からの引き出すというアプローチの二重構造からきているみたいで

教育というものも

教えることは外部からのアプローチですが
育つというのは内発的な成長を意味しているように気付きました。

要は
外部からの「教える」というパワフルなコミュニケーションとその人自身が自らの意思と力を「引き出される」こととの絶妙なバランスによって
成立するものが教育であると解釈しました。

日本の学校教育では
教えることに重点が置かれていたみたいですが、近年は引き出すことに注目が集まっているみたいです。

広島県ではそのような取組が積極的になされており、先日広島県の因島高校ですごい会議のセッションをしてきました。

様々な取組を高校をあげてチャレンジされていて、校長先生も新しいものをどんどん取り入れようというスタンスで本当に魅力的な高校でした。
生徒と先生の距離も近く、高校生に戻りたいなんてことも思いました笑

思えば、学生時代を振り返って、教わることはもちろんですが
いい先生と認識している先生には自分の持っている何かの能力が引き出された経験がありました。
それは学力の向上ではなく、新しい習慣であり、新鮮な思考が身についたなとはっきり言える経験でした。

教え、育むこと。
教え、引き出すこと。
その効果的なバランスとは何か?
教育を通して何を身につけるのか?
その答えを暫く考えたいなぁ〜なんて考えた広島への出張でした。

感情を鍛える

あなたは今日1日どんな感情の変化をしましたか?

感情に素直になる、ということをある機会をきっかけに最近意識しています。

自分が今どんな感情なのか?
と自分に聞くと、
不思議なことに意外と分からないんです。

考えたことないからなのか
自分に興味がないのか
感情がないのか分かりませんが
とにかく分からないんです笑

人は感情的な生き物だとよく言いますが
人は感情的な生き物にも関わらず、感情を押し殺して生きていると思います。

みんなが可愛いと言っているものに対して
ダサい!と言うことはなかなかできないですし、

あの先輩なんかキモくないですか?なんて思ってたとしてもなかなか言えないです。

協調性を重んじる日本には実は言論の自由はないかもしれないですね笑

要は真に感情的に生きていると問題がたくさん起きます。

ただ、いろんな面白いことを世の中に起こしたりする人や何かを極める人とそうでない人の違いは感情に敏感かどうかなのではないか?
と最近思います。

広告のスペシャリストは
「、」(コンマ)の場所をミリ単位で調整するみたいです。
私からすると、どうでもいいと思ってしまうし、おそらくミリ単位で動いていても気が付かないです。
それなのに専門家の方はコンマの位置に違和感を抱くんです。

「物事に違和感を持てるかどうか?」
そこまで感覚を研ぎ澄まし、その感覚から生じる感情の変化に気付き、それを言動に表すことができるかどうか?
こそが本物を創る人とそうでない人の違いなのではないかと思ってならないです。

この前ある学生と社会人が参加する講演会に行ったのですが
そこでは「世のため、人のために生きるべきだ」というような空気を感じて私自身が気持ちが悪いなと思ってしまいました。
そして、自分が何に気持ちが悪いと思ったのか?をずっと考えたのですがよくわからないんです。
何に違和感をもって、何が自分を気持ち悪くさせたのか?
意外とふとした感覚を言語化することはできないものですよね、という会話を先輩にしたところ

「俺らの仕事はあらゆるものを言語化する仕事なんだから、何に違和感をもったのか言語化することから逃げるな。」
と言われ
しばらくずっと考えました。

私のいまのところの仮説(いまのところの暫定の答え)は

◯自分の意思なしに人の意見が正しいと考える人を見たこと
◯唯一正しい答えはないのに、全体に対してその正しさを押し付けようとしていた空気
に対して違和感をもっていたんじゃないかなということです。

この言語化の過程を通して気づいたことは

私自身学生時代にカンボジアへの学校建設をしていく中で
本当にカンボジアのために動いている人と
自分のために動いている人の違いをまじまじと感じた経験があること

自分自身が人のために生き続けてしんどくなった経験があったからこそここに違和感を覚えたんじゃないかなということです。

私がおもうに
人が違和感をもったり、敏感になるということは
それに違和感をもつ・敏感になるそれなりの経験があるからこそだと思うのです。

経験していないこと、考えていないことには感情は反応しません。

そうすると、どのようにすればその感度を高めることができるのか?
という疑問文が頭に浮かびますが、

いまのところ
●感情に素直になって生きてみる。
嫌なことは嫌だと言い、違和感を口に出し、それを言語化する習慣を身につける。

●より多くの本物に触れてみる。
音楽や芸術、ダンスなどその道を極めつくしている人や物に触れてみてその違いを知る。

●自分の尊敬している人たちがどこにアンテナを張っていて、なにに気づくのか?をひたすら観察する。

くらいを思い付きました、
他にアイデアがあればぜひ教えてください!