不可能を可能にする

「一見不可能に見えることを可能にし、問題解決を楽しむ組織を創ること」

これがすごい会議のミッション、使命です。

すごい会議は何をしているのか?
会議の生産性をあげます。
組織におけるコミュニケーションの安全を創ります。
誰でも主張できる環境を創ります。
約束を尊重できる会社を創ります。
などできることは色々ありますがひとことで言うと
「一見不可能に見えることを可能にして、問題解決を楽しむ」ことをお客様に提供しています。

組織には一見不可能に見えることがたくさんあります。
客単価を上げて客数を上げることも一見矛盾することですし
1年で売上を6倍にすることも一見不可能に見えますし
赤字だった会社を世界一の会社にすることも一見不可能です。

すごい会議はそれらの実現可能性を最大化します。

そして今回私はすごい会議コーチとして
一見不可能を可能にし、問題解決を楽しむことを体現するために

【アフリカのジブチ共和国に行ってダウンジャケットを100着売ってきます。】

ジブチ共和国はアフリカにある国で
世界一暑い国と言われています。
最高気温は72度らしいです。
夏は暑すぎてプールに入れないらしいです。

そんな国でダウンジャケット100着も売れるのか?

やり方は全く見えていません。
私がジブチ共和国に住んでいたら買おうと思いません。

4月にジブチに行ってきます。
100着黒字で完売してきます。

すごい会議メンバーの有志で行ってきます。
言語の壁もありますし、
ジブチ共和国がどんな国なのか
どんな人がいるのか全く分かりませんw

ぜひジブチ共和国に詳しい人がいたら教えて下さい。

いまどうやったら世界一暑い国でダウンジャケットを100着も売れるのかをずっと考えています。
また、ダウンジャケット代や渡航費などたくさんの問題を抱えています。

問題は嫌なものではなく、チャンスです。
問題は自分の人生をつまらなくするものではなく
自らの人生を次のステージにステップアップするために成長の機会です。

ジブチ、、、

あゝジブチ、、、

これを乗り越えた先に
どんな自分が待っているのか楽しみです。

ちなみになんでジブチにダウンジャケット100着売ることになったのか
よく覚えていません。

一見不可能に見えることを可能にし
自らの人生を可能性で溢れさせるので

生暖かい目で見守っていてください。

またこの場で報告していきます。

2016NO OWARI

2016年を振り返ります。
一言で言うなら「がむしゃら」な1年でした。

南米を旅して高山病と下痢に悩まされ上からも下からも源水垂れ流しになったり
フィリピンでの入社式で不覚にも泣いたり、
1ヶ月弱の練習でハワイのトライアスロンに出て25歳以下の部で3位になりました。

必死に頑張っているのに何の成果も出ない月が続いて、珍しく悩んだり、
お客様から「石田さんのおかげで本当に会社が変わりました」と言われて心が震えたり、
初体験のオンパレードでした。

人に会いまくって、この1年でFacebookの友達は1000人以上増えましたし
週に2回は何かしらのイベントや交流会に参加しました。

ぎっくり腰になって救急で運ばれた日以外は1日も休まずに仕事に取り組みました。

がむしゃらに駆け抜けたこの1年間で得たことはたくさんありますが、1つ挙げるならば
「当たり前のことを当たり前にやるためには、確固たる覚悟が必要だ」ということを学んだことです。

うちの会社には研修も何もないし、出勤もなくて人から教わる機会を与えられることが一切ないので、
新人のマナーや自己啓発に関する本を読みまくりましたが、書いてある内容は既に聞いたことのあることばかりでした。

言った期日を守る
時間を守る
相手の目を見て話す
人の話を聴く
相手の立場に立つ
giveする
感謝する
言っていることとやっていることの整合性を保つ
正直である
素直である
謙虚である
常に学ぶ
反省して次に活かす

そうです、
当たり前のことのなんと多いことやら、、

当たり前のことも1つ1つ実践するのは比較的容易ですが、全てをしっかり実践するとなると
私の中では難しさを感じました。

しかしながら、
当たり前のことを当たり前にやり切っている素晴らしい方々に数多く出会った1年でもありました。

そんな方たちの私の中での共通項は公私という概念がなく、常に一貫していた判断や行動をしていて仕事に対しては強い覚悟をもって取り組まれている方ばかりということでした。

覚悟というのは「おれにはこれしかない」という決意です。

思考は現実化する、という言葉がありますが、私にとってはもはや「思考しか現実化しない」です。
私の尊敬する方たちは「決める力」がすごいです。
決めた瞬間に、さも決めたことが手に入ったのかのように振舞います。

2016年はいろんなことをがむしゃらにやってきた1年でしたが、思い切って「決めたこと」が少なかったと反省しています。
とにかくなんでもやる。という在り方でした。
2017年は手に入れるもの、棄てるものをしっかりと決めて、余裕をもった年にします。

効率性/生産性/効果性

前回のブログで1ヶ月間毎日10キロ走ることを宣言しましたが
15日間今のところ続いております。

朝6時から仕事があるときには3時に起きて走りますし、
雨の日もなんとかして走りますし、
風を引いて熱があるときはさすがに走れませんでしたが10キロ歩きました。

残り半月まだ残っていますが
この2週間ちょっとで私が得たことは
時間の生産性はまだまだ高められるという気づきです。

10キロ走るのに45分−60分、準備運動、整理運動、シャワーで30分で
毎日90分はこのランニングに時間を使います。

24時間のうちの1.5時間ですが、どこにこの時間を確保するかを毎日一生懸命考えますし、
今の仕事量を出来る限り早く終わらせたいという意識が以前より強くなりました。

最近本屋に行くと心なしか「生産性」をテーマにした本が売れているように感じるようになったのですが
2015年の日本の労働生産性は先進主要国の中で最下位で
アメリカの約半分でした。
(日本の市場やビジネスモデルの構造、貨幣価値など一概に日本の生産性が国際社会において低いとは言えないですが、まだ生産性があげられるはずだという立場にここでは立ちます。)

努力を美徳とする文化があったり
意志決定のスピードが遅かったり
生産性が悪い原因は色々あるでしょうが

日本人の生産性が低い最も大きな要因は
「生産性を上げる動機をもつ必要性がないからだ」とある方が言っていました。

時間=賃金で終身雇用制が採用されていると生産性を上げる理由が特に持ちにくいです。
失業率で言うと
労働生産性の高いと言われる北欧諸国の失業率は日本の3倍弱ありました。

どのような理由で失業しているのか分かりませんが、
派遣社員や非正規雇用を外国よりもうまく活用できていないように感じます。

私自身、毎日10キロ走ることを実施していくことで、生産性を上げる工夫や能力が身についています。
要はそれまで「どうやったら生産性が上がるのか?」についてあまり考えていなかったということです。

極論、生産性上げていかないとクビになるという状況であれば必死に生産性を上げる思考が働くと思います。

そうすると、どうやったら常に生産性を考えて仕事できるようになるのか?ということですが
「生産性をあげないといけない」状況をどうやったら創れるのか?という疑問文の方が私の場合しっくりきました笑

最小の努力で最大の成果をどうやって上げるのか?
をテーマにする2017年にします。

約束の尊重

すごい会議では
「約束を守る」ことと「約束を尊重する」ことを区別しています。

約束を守ることと尊重することにはどんな違いがあるでしょうか?

どすえは現在5人の会社ですが先輩たちは怒ることがほとんどありません。
なにかやらかしても
「何を学んだか?」
「次からどうするか?」
と2つの質問をされるだけです。

ただ、先輩や社長がキレるのは
・言っていることとやっていることが違う時
・約束を尊重できていない時
・全く同じミスを繰り返した時

の3パターンです。

すごい会議ではクライアントである会社で
何をするかというと
単に会議の司会をしているのではなく
約束を尊重する文化と
言い訳をしない文化を短期間で創り上げるということをやります。

にも関わらず
それを創り上げる我々が
約束を尊重していなかったり、
言い訳をしていたら真の価値を提供することはできません。

組織において約束を尊重しないと何が起きるか?

約束が尊重されないことと言い訳をすることは私の中で同義です。

決めたことが守られないとすると
そこには決めたことを守れなかった理由が何かしら存在します。
これが言い訳に他なりません。

約束を守れないと分かった時に
約束を尊重している人であればどんな言動が可能か?
遅刻しそうなときに約束の時間の5分前に遅刻します!ということは私が言うには
約束を尊重できていません。
おそらくもっと早くわかっていたはずだからです。

1つ約束を破ってもいい事例ができると
人は約束を破っても許される理由を探し始めます。

だからどすえでは約束への責任が非常に重いです。
自分の言動に責任をもたなければすごい会議はやっていけません。

とまぁ色々と書いてきましたが
なぜこんなに書いているのかというと
先日どすえのミーティングに10秒ほど私が遅刻したからです。

恥ずかしながら私自身小学生のころから遅刻魔でした。
中学時代はどうやったら遅刻がバレずに授業に入れるか?ということを考え
先生にばれない学校へ入る道、
先生に見つからないように教室までのルートを見つけ出し
教室に着いたら廊下で授業に必要な最低限度の荷物を取り出し、
先生が黒板を向いている隙に教室にソーッと忍び込み、隠れながら
自分の席にたどり着き、何食わぬ顔で「最初からいましたけど?」と授業を受けていましたし

高校時代は
遅刻し過ぎで3者面談までセッティングされました。

大学時代も人を待っている時間がもったいないと考え、
約束の時間ギリギリに到着するように予定を立てていました。

そんな私は会社に入ってから何度か約束を尊重できていない時があり、
今回も約束の時間に遅れてしまいました。

学生時代社会人と接する機会が何度かありましたが
約束の時間に間に合わない社会人や、
期日を遅れる社会人はたくさんいました。

組織において
約束を尊重する、約束を守る。
この2つのことは簡単なようで非常に難しい永遠のテーマだと思います。

私自身が約束に対する接し方を改めなければなりません。
今までは「約束は守らなければいけないもの」とある種の義務感のように考えていましたが
今回をきっかけに
「クライアントにすごい会議を納品する者として、信頼される人間であるために約束を守る」という関わり方に変わります。

すごい会議という仕事をしている以上、
公私共にどんな約束も尊重する、というのが私の仕事です。

という戒めのために今回のブログを書かせてもらいました。
(ちなみに遅刻の解決策としてはお店で1番うるさい目覚まし時計買ったのと、戒めとして1ヶ月間毎日10km走ります)
読んでくださってありがとうございます。

教育の定義

「教育」とは何か?

Teachの語源は「明らかにする」「指し示す」で
教えるという漢字の成り立ちは左側が
老人と子供を意味し、右側の「のぶん」と呼ばれる部首は、「手で持った棒で何かを叩く」ことを意味します。

教えるということは
知らない状態、分からない状態から知る、分かるという状態にするように働きかけることだと認識しています。

かなりパワフルなコミュニケーションです。

一方で育むという漢字は「女性が子供を産む象形」から成り立っているみたいです。

教え、育むとはどんな状態を指すのか、
英語のeducation の語源も調べました。

educatioというラテン語に由来していて
意味は「動植物の生命を引き出し、それを飼育・栽培する」ことみたいです。

さらにeducation は
大きくするという意味のeducareと
引き出すという意味のeducereの2つの動詞に派生するみたいです。

内発的な成長と
外部からの引き出すというアプローチの二重構造からきているみたいで

教育というものも

教えることは外部からのアプローチですが
育つというのは内発的な成長を意味しているように気付きました。

要は
外部からの「教える」というパワフルなコミュニケーションとその人自身が自らの意思と力を「引き出される」こととの絶妙なバランスによって
成立するものが教育であると解釈しました。

日本の学校教育では
教えることに重点が置かれていたみたいですが、近年は引き出すことに注目が集まっているみたいです。

広島県ではそのような取組が積極的になされており、先日広島県の因島高校ですごい会議のセッションをしてきました。

様々な取組を高校をあげてチャレンジされていて、校長先生も新しいものをどんどん取り入れようというスタンスで本当に魅力的な高校でした。
生徒と先生の距離も近く、高校生に戻りたいなんてことも思いました笑

思えば、学生時代を振り返って、教わることはもちろんですが
いい先生と認識している先生には自分の持っている何かの能力が引き出された経験がありました。
それは学力の向上ではなく、新しい習慣であり、新鮮な思考が身についたなとはっきり言える経験でした。

教え、育むこと。
教え、引き出すこと。
その効果的なバランスとは何か?
教育を通して何を身につけるのか?
その答えを暫く考えたいなぁ〜なんて考えた広島への出張でした。

感情を鍛える

あなたは今日1日どんな感情の変化をしましたか?

感情に素直になる、ということをある機会をきっかけに最近意識しています。

自分が今どんな感情なのか?
と自分に聞くと、
不思議なことに意外と分からないんです。

考えたことないからなのか
自分に興味がないのか
感情がないのか分かりませんが
とにかく分からないんです笑

人は感情的な生き物だとよく言いますが
人は感情的な生き物にも関わらず、感情を押し殺して生きていると思います。

みんなが可愛いと言っているものに対して
ダサい!と言うことはなかなかできないですし、

あの先輩なんかキモくないですか?なんて思ってたとしてもなかなか言えないです。

協調性を重んじる日本には実は言論の自由はないかもしれないですね笑

要は真に感情的に生きていると問題がたくさん起きます。

ただ、いろんな面白いことを世の中に起こしたりする人や何かを極める人とそうでない人の違いは感情に敏感かどうかなのではないか?
と最近思います。

広告のスペシャリストは
「、」(コンマ)の場所をミリ単位で調整するみたいです。
私からすると、どうでもいいと思ってしまうし、おそらくミリ単位で動いていても気が付かないです。
それなのに専門家の方はコンマの位置に違和感を抱くんです。

「物事に違和感を持てるかどうか?」
そこまで感覚を研ぎ澄まし、その感覚から生じる感情の変化に気付き、それを言動に表すことができるかどうか?
こそが本物を創る人とそうでない人の違いなのではないかと思ってならないです。

この前ある学生と社会人が参加する講演会に行ったのですが
そこでは「世のため、人のために生きるべきだ」というような空気を感じて私自身が気持ちが悪いなと思ってしまいました。
そして、自分が何に気持ちが悪いと思ったのか?をずっと考えたのですがよくわからないんです。
何に違和感をもって、何が自分を気持ち悪くさせたのか?
意外とふとした感覚を言語化することはできないものですよね、という会話を先輩にしたところ

「俺らの仕事はあらゆるものを言語化する仕事なんだから、何に違和感をもったのか言語化することから逃げるな。」
と言われ
しばらくずっと考えました。

私のいまのところの仮説(いまのところの暫定の答え)は

◯自分の意思なしに人の意見が正しいと考える人を見たこと
◯唯一正しい答えはないのに、全体に対してその正しさを押し付けようとしていた空気
に対して違和感をもっていたんじゃないかなということです。

この言語化の過程を通して気づいたことは

私自身学生時代にカンボジアへの学校建設をしていく中で
本当にカンボジアのために動いている人と
自分のために動いている人の違いをまじまじと感じた経験があること

自分自身が人のために生き続けてしんどくなった経験があったからこそここに違和感を覚えたんじゃないかなということです。

私がおもうに
人が違和感をもったり、敏感になるということは
それに違和感をもつ・敏感になるそれなりの経験があるからこそだと思うのです。

経験していないこと、考えていないことには感情は反応しません。

そうすると、どのようにすればその感度を高めることができるのか?
という疑問文が頭に浮かびますが、

いまのところ
●感情に素直になって生きてみる。
嫌なことは嫌だと言い、違和感を口に出し、それを言語化する習慣を身につける。

●より多くの本物に触れてみる。
音楽や芸術、ダンスなどその道を極めつくしている人や物に触れてみてその違いを知る。

●自分の尊敬している人たちがどこにアンテナを張っていて、なにに気づくのか?をひたすら観察する。

くらいを思い付きました、
他にアイデアがあればぜひ教えてください!

知れば知るほど知らない状態になる

やりたいことは何ですか?
あなたの抱えている問題は何ですか?

こういう質問をよく聞きます。
最近思うのは、「わかんねえよ!」ということです。

ある尊敬する友人に「途上国の人々との話し方」という本を薦められて読みました。

途上国の人に
「村の1番の大きな問題は何ですか?」
「何に困っていますか?」
と聞くと必然的に事業は失敗する。

と書いてありました。

すごい会議ではクライアント先での様々な問題解決を会議を使って行うのですが
問題解決のプロセスの1つ目は
「何が問題なのかを特定すること」と置いています。

何の本なのか忘れましたが
「何が問題なのかを特定できれば問題の8割は解決する」みたいなことが書いてありました。

何が言いたいのかというと
自分との対話を繰り返せば繰り返すほど
すごい会議に関する知識や経験が増えれば増えるほど
「全然自分の理解は足りていない」と気付くんです。

意外と
・自分自身のこと
・自分の問題のこと
・自分の欲しているものが何かは
みんな分かってないんじゃないのかなと思います。

大企業の人事の方と話をしていて
就活するなかで自己分析にはほとんど価値がないという話をしました。

自己分析ができている人
というのは
自分の軸を明確に言えるとか
夢を言える
ことではなくて、

自分との向き合い方
自分との対話の仕方を分かっている人
なのではないかと話をしました。

業界に革命を起こしたと言われる
株式会社crazy wedding の山川咲さんが会社を卒業した際の講演会にすごい会議メンバーで以前参加したのですが
そのときに

誰よりも好きなことを仕事にして、やりたいことだけやってきたイメージを持っていた咲さんが

「やりたいことは見つからない。好きなことをしても成功しない。」
「やりたいことを探していたら人はダメになる」

と話をした時は衝撃的でした。

やりたいことはチカラをつけない限り出会えない。
未熟な自分がやりたいことをやったとしても、人生単位で手に入れたいモノは得られない。
今の仕事に疑問を抱きながら続ける3年間と、必死に仕事に取り組む3年間では結果が大きく異なる。

というような趣旨のお話だったと私は解釈しているのですが

「私は何者か?」
「自分が欲しているものは何か?」

というような究極の正解のない問いの答えを出す方法は
目の前のことに全力で取り組むことで得られる気付きをもとに
良質な自分との対話を繰り返すことなのではないかと思いました。

ライヤーゲームという映画にもなった漫画がありますが
その中に
「信じることは考える事の放棄だ、疑うことは決して悪いことではない、疑わないことは無関心であることと同義」
というような内容が書かれてありました。

いい意味で常に疑い続けることは大切だなと思うと共に

いろんな人の話や、
本の内容が繋がっていく感覚がたまに起きるとすごい楽しくなります。

動機付けはするものではなく、湧いてくるもの

毎週ブログを書くと決めました。

だから私は毎週ブログを書いています。
毎回嬉しいことに
「一眞のブログめっちゃ面白い!」とか
「毎回楽しみにしています!」というようなコメントを多くいただき

そりゃもう嬉しい限りです。

ところが、今回困ったことに書く内容が思いつきません。
1週間を振り返って、いろんな出来事があり、多くのことを学びました。
確実に1週間前の自分よりも成長している自信はあるのですが、書く内容が思いつきません。

実際、書く内容は
先輩から教えてもらったこと、
本を呼んで学んだこと、
電車の中で人を観察して気づいたこと、
人とのコミュニケーションする中で気づいたこと、などなど
たくさんあります。

なのに手が動きません。
なぜなのか?としばらく考えていると

ふと気付きました。

「おれ、いい記事を書こうとしている。」

以前先輩と会話している時に

「もっとうまくしよう」とすると途端にうまくいかなくなる。

と言われました。
セミナーの講師を社会人に対して月に1−2回したり
お客様のもとで会議をしたり
学生に対して勉強会を開いたり、

自分の能力を超えて
もっとうまくしよう。とすると何か無理して結局うまくいかなくなる
という経験が私にはあります。

最初は自分が感じたことを等身大で、ありのままに書いていましたが
友人や先輩からブログを評価され始めると
「いいこと書かなきゃ、、、」という考えが頭の中に無意識に浮かんでいたことに気づきました。

背伸びをしてもいいことはない
と今気づいたので最近考えていることを率直に書くことにします笑

先日学生向けに「言葉」に関する勉強会を開催しました。

「恋」と「愛」の違いは何なのか?
「友達」と「親友」の違いは何なのか?
「分かる」と「理解する」の違いは何なのか?

という言葉が違えど、意味が似たような2つの言葉の違いをみんなで対話しながら考えたり、

「成功」とは何か?
「好きな人」とはどんな人か?
「本気」とはどういう状態なのか?

などみんな使っているけどよく意味が共通認識されていない言葉の
自分なりの定義は何か?

ということを話しあったりしました。

例えば、
「分かる」
「理解する」
の2つの言葉については
私なりの見解は
分かる=内容の意味を知ること
理解する=内容の背景にある意図、本質を知ること
というような違いなのではないかと考えました。

これは何かというと、
先輩から「これやっといて」と言われた時に
ただ言われたことだけやるのは言われたことを「分かっている」状態です。
何のためにやるのか?を考えたり、実際に聞いたうえで言われたことをやることは「理解している」状態です。

自分が分かっているけど理解していないことは何か?と自分に聞いてみると
意外といろんなものが出てきました。
面白かったです。

言葉の定義についても
「自分の成功とは何か?
自分の幸せとは何か?を定義しておかないと
一生成功しないし、幸せにはならないですね。」
と勉強会で参加者の人が言っていて、
本当にそのとおりだなと思いました。

私自身、知的好奇心が非常に高いので
こういう日常から学びを得られる環境が最高です。

と書いていて、
「最高」ってどういう状態なんですかね、、
言葉の意味を疑い始めると思考が止まらなくなります笑

きれいごとは危険

人生とは何なのか?
私ははなんで生きているのか?

というようなことを考えたことがある人は多いのではないかと思います。
私自身中学生のときによく考えていました。

就職活動をしていると
ビジョンを持て。
夢を持て。
というようなことをよく言われます。

正直私には当時、自分が何がしたいのかわからなかったし、
自分の人生をかけて解決したいと思えるような問題はありませんでした。

戦争はなくなったほうがいいと思うし、
格差もなくなったほうがいいと思います。
イキイキと働ける人が多いほうがいいと思いますし、
世の中便利になったほうがいいなと思います。

ただ、全てこうなったらいいなと楽観視するだけで、
自分で何が何でもこうしたい!という欲求にはなりませんでした。

メンターとして名高い福島正伸さんに会った時に
「人のためや世の中のために本気になれません。福島さんはどんなきっかけで社会のために命を使いきろうと思ったんですか?」
と質問すると
「自分のためだけに仕事をし尽くして、人のために動いたほうがうまくいくと気づいてからですね。今は自分のために突っ走っていいと思いますよ」
と答えられました。

そうして、私は挑戦で溢れる環境にいることが自分が最も幸せなので、挑戦で溢れる環境にいたいと思ってすごい会議を始めました。(要は自分の幸せのためです。)
すごい会議そのものが失敗を恐れず、言い訳を許さず、チャレンジする文化を創っていくものであるからです。
自分の周りがチャレンジしていくとその友人の周りもそのチャレンジ力は伝染していくと思うので
私の名刺には「挑戦で溢れる社会を創る」と書いてあります。

そんなこんなで
先日ある経営者の方と飲んでいて
なんで生きるのか?という話になりまして、
その方の言った一言に衝撃を受けました。

「人生は暇つぶし」

その方曰く、
何もしていなければ人生とは非常に退屈でつまらないものであり、
いかに退屈な人生を面白くするか。
そのために人の役に立つことをしたいし、
新しいものを創りたい。
とおっしゃっていました。

全く新しい視点でした。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
高杉晋作の言葉にありますが、

何も考えず、何も行動せず、ただ寝て食べての生活をする人生はきっとおもしろくないです。
どれだけ人生を面白く生きるか?
そこに尽きると。

きっと私は
自己中なだけで好きなことだけ独りでやり続ける人生もつまらないでしょうし、
現状維持で同じことを繰り返す人生もおもしろくないと感じます。

チャレンジし続け、
新しい刺激を受け続け
自己成長し続け
面白い人と出会い続ける。

そしてそれが誰かの笑顔になり、
誰かの何かのきっかけになり
世の中が少しずつ変わる。

なんて面白いのだろうと思います。

経営者とお仕事をするすごい会議ではいろんな経営者の方と話しますが、

経営者の方々は基本的に誰もが勉強熱心で
夫々の人生哲学のようなものを持っていて

私は最近それを聞くのが非常に楽しいです。

あなたはどんな人生観をもっていますか?

今を生きるということ。

「今していることを全く愛おしいと思わなかったら、その方法について誇りを感じていなかったら、世界中に声を大にして言いたい仕事でなかったら、職種を変えたり、職場を変えたり、雇い主を変えることをお勧めします。」

とある本に書いてありました。

長時間労働が社会で問題になり話題によく上っていますが、
あるベンチャーの経営者は1日3時間しか寝ていないと言っていました。

もちろん長時間労働は問題だと思いますが、
それに加えて、「仕事へのやりがい」に私は問題意識を感じています。

ベンチャー企業の人と接する機会が多くあるのですが、私が言うにはスタートアップ企業の経営層や個人事業主の人はめちゃくちゃ長時間働いています。
3時間睡眠などと聞いても驚かなくなりました笑

ただ、その人達の過労死とか自殺とかは聞いたことが無いです。
なぜならば、おそらく楽しんで長時間働いているからです。

「何をするかよりも誰とするか」
という言葉をよく聞きます。
自分を変えたかったり、夢を実現する最短の近道は環境を変えることであることは確かに納得しますが、
やっているコンテンツ自体に面白みがないとするとなかなかしんどいと思います。

「仕事」の定義は人によって違いますが、
仕事そのものに魅力があるのかないのかは人生の豊かさを手に入れる上で非常に重要なポイントになるのではないかと感じます。

あなたはいまやっていることにどれほどの魅力を実感していますか?

この前私はすごい会議を日本に持ち込んだ師匠である大橋禅太郎さんと会話したときに
「一眞は今にいない」と言われました。
「焦っているし、何か急いでいるように感じる。」とのことでした。

自分自身、うまくいかないことが続いたりしたときに「もっと頑張る、もっと頑張る」と視界が非常に狭くなっていました。

「今を生きる」とはどういうことか?
という疑問文を自分に問いました。

私は教育に興味があって今の仕事をしています。
人の成長であり、周りの人と未来の話をすることが大好きで生きています。

どすえには出勤もなければ、業務内容を管理されることもありません。
「あなたのやりたいことや成し遂げたいことの実現可能性を最大化する」
ことがどすえのミッションなのでそれに従ってさえいて、法律に触れさえしなければ何をしてもいいわけです笑

そういうわけで僕は勝手に
学生に対して月に2回ほどコーチング勉強会を開いたり、
今度は高校を巻き込んで教師の方たちにセミナーをしたりします。

お客様のフォローをすることも非常に楽しいし喜びです。

仕事のやりがいと喜びにもっと意識を集中して日頃から活動しないと
手段が目的になることがよくあります。

初心を忘れずにとよく言いますが
人間は忘れる生き物なので、意図的に思い出す意識が日常にいるなぁと思った次第でした。