自己分析の目的

最近哲学の本を何冊か読んでいると
人生とは?
自分とは?
価値観とは?

みたいな抽象的な思考にふける機会があります。

そんな中でいろいろ考えることがあるので
その思考を無理やりこのブログを利用してまとめてみることにします。

「人は比較を通してしか考えることができない」
ということをまず思いました。

かわいい
かっこいい
おもしろい
たのしい

これらは単体では存在し得ません。
ブサイクがいるから可愛いがあるし
かっこ悪いがあるからかっこいいが存在するし
つまらないがあるから面白いがあります。
たのしくないことが楽しいことを作っています。

そうです。
みんな同じ顔で同じ声で、やることも考えることも同じであれば
カッコイイなんて概念は存在し得ません。

つねに思考は何かとの比較によって起こります。

そうすると、
幸せに生きることが人間の目指す姿だとすると
幸せも比較で起こります。

では、幸せとは何との比較で決定づけられるのでしょうか?

自分の過去の体験ではないかと思います。

ジョン・ロックは「タブララサ」を主張しました。
タブララサとは人は誰しも白紙の状態で生まれてくる。
という内容です。

白紙で生まれてから家庭環境や付き合う人、育つ環境、触れるものによって個性が作られていく。
というものです。
なので生まれた瞬間というのは真っ白な状態なので考えることができません。
(比較するものが存在しないから)

自分が何に喜びを感じるのか?
何にワクワクするのか?
は自分の原体験から経験として蓄積されます。

それによって何が幸せなのか?
という価値基準が形成される気がします。

ということは
自己分析の目的とは
「自分なりの幸せの価値基準を明確にすること」なんだと腑に落ちました。

幸せを
収入とか知名度とかどれくらいモテるか?とか頭の良さとかで測ってしまうと
上には上がいるのであり、
一生不足している感覚で生きざるを得なくなります。

それはちょっときついなぁと思います。

他人の指標で幸せを測っていると誰の人生を生きているのかわからなくなってしまいます。

自分自身の幸せの基準を決めることが
人生を豊かにする最短の道なのではと。

もう1つ哲学を学んで迷いだしたものがルサンチマンというものについてです。

幸せとは何か?の基準は過去の経験から決定づけられる旨を書きましたが

人にはルサンチマン=やっかみが存在します。

例えば、
お金を稼いでいる人に嫉妬して
「人生お金じゃない」と言う人がいます。

人脈の広い人に嫉妬して
「人脈なんて広げる意味なんてない」と言う人がいます。

これらの意見は本当にその人の価値観なのか
実は嫉妬しているだけなのか、どちらなのか?という話です。

「年収300万あればいいんです。」
と言っている人がいたとして、

3000万くらい年収稼いだ人が言う
「年収300万円あればいいんです。」と

長年働いていて、年収ずっと300万円の人が言う
「年収300万円あればいいんです。」という言葉は

全然違います。

なぜなら年収300万円では見えない世界が年収3000万円にはあるからです。
おそらくできることも、選択肢も、付き合う人も変わります。

その上で「年収300万円あればいい」と言うのは本当にそういう価値観なんだなと思うのですが

ろくに稼いだことのない人が
「年収300万円あればいい」というのは
稼ぐことを諦めているか、稼いでいる人に嫉妬しているだけなのかもしれません。

なのでルサンチマンなのかどうかを判断するためには
食わず嫌いにならず、とりあえず色々食べてみることが効果的だと思いました。

自己分析は机の上で考えることではなく
新たなアクションをしたり、いろんな成果を出す上で自分が何を感じるのか?を感じる行為なのではないでしょうか?

自分の価値基準を明確にする。
そのためには、食わず嫌いにならず色々チャレンジしてみる。

20代は色々判断せずにいろんなチャレンジをしてみます。
自己分析を極めて、確固たる自分の価値基準を明確にしたいものです。

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