学び

すごい会議のファウンダーの禅太郎さんが
「赤ん坊の泣き声からも学ぶことはできる」と以前言っていました。

僕は聞いた時
「なるほどー」と思いましたが
あとでよくよく考えてみて、
「何を学べるんやろ。。。」と頭が止まりました笑

「いやいや、ただ泣いているだけやん、、、」

となるわけです。

ただ、その思考では成長が一切起きません。

ちょっと想像してみました。

赤ちゃんが
ギャーギャーワーワー泣いています。

さて、何を学べるのでしょう?

事実は
「生後半年の赤ちゃんがギャー!!!と叫び続けている」です。

どんな学びがあるのか?よく分からないので
無理やり学びが起きるように色々考えてみました。

赤ちゃんが泣くのってなんで何だろう?

お腹が空いているからなのか?
トイレに行きたいからなのか?
眠たくなったからなのか?
暑かったり寒かったりするからなのか?
色々と考えることはできます。

さて、何を学べるでしょうか?
以前あるママさんと話をしていた時に
「お腹が空いているのか、トイレなのか、眠いのかで泣き方がちょっとずつ違う」という話を聞きました。

なるほど、泣き声を聞き続けていると
泣き声に関する些細な「区別」が見分けられるようになるみたいです。
これは学びですね。

ただ、あまりしっくりきません。

「学び」とは何なのか?
というと
「今まで気づかなかったことを知り、その後の人生に活かせる知見が手に入ること」
みたいな感じです。

とすると、
赤ちゃんを育てたことのないし、直近で育てる予定も特にない僕にはあまり
いい学びとは言えません。
だってすぐ活かせられないから。

しかも「泣き声の区別」という学びを得るためにはおそらく何回も泣き声を聞いては対応して、、、ということを繰り返さないといけません。
パッと一発聞いただけで学びにはなり得ません。

僕はすぐに仕事や生活に活かせる学びが欲しいわけです。
どう解釈すればそんな「学び」が赤ちゃんの泣き声から得られるのでしょう、、

禅太郎さんの言っていることが今ひとつまだ掴めていません。

と、ここまでで僕の思考は止まっていました。

ただ最近、こういうことじゃないか!という発見がありました。

それは【抽象化】です。
ある事実を抽象化・一般化・構造化して考えるということです。

どういうことか?

赤ちゃんが泣いているとします。
多分僕にとっては耳障りです。

これをどんどん抽象化します。

赤ちゃんがギャーギャー泣いていて、耳障りで僕は「あーうるさいなぁ」と思った。

何か大きい音が鳴り続けていると、イラッとする。

想定外の音がなると、集中が切れる。

こうやって考えると転用可能な学びになりました。

「想定外の音がなると、集中が切れる」この発見があると

・仕事するときは携帯の電源切ったら集中できるかもな
・カフェ行くよりも漫画喫茶とかに行った方が雑音少ないし作業が捗るかもな
・集中してそうな人には話しかけるよりも、メールや置き手紙で伝えたほうが親切かもな

など日常に活かせる学びに変化しました。

もう1つ違う観点で考えてみます。

赤ちゃんが泣いているとします。

赤ちゃん泣いている

自分に好ましくない状況を泣くことで、ママやパパに伝えている

困ったことをすぐに発信して助けを求めている

こう考えると、
・自分も1人で抱え込まずにもっと人を頼ろう
・大人になるとすぐ泣いたりできない分、部下の◯◯も1人で困りごとを抱え込んでいるかもな、ちょっとフォローしてみよう
・困ったことをすぐに困った!と定期的に気軽に言える仕組みを社内で作ったほうがいいかもな

みたいな応用が効きます。

要はどんな物事も抽象化していまえば
学びになる!ということです。

抽象化最高です。

毎日の些細なことから学びが起きます。
満員電車の出来事や
道を歩いているとき
コンビニに入ったとき
あらゆることから学びが起きます。

抽象化によって、人生が豊かになりました。

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