求められる力

多くの仕事がAIに取って代わり、仕事がなくなっていく。

と近年ずっと言われています。

ジェネラリストは必要ない。これから求められるのはスペシャリストだ。

なんて言われたりしていますが、
実際どうなんでしょうか?

20代のオンラインサロンを作って、そこで仲間とともにこの議題について議論したのですが

スペシャリストの人でも、
「いやいや知識の幅広すぎでしょw」っていうほど広さがある人がいるし

ジェネラリストの人でも
「え、そこまで突き詰めてるんですか?」ってくらい深さがある人がいます。

ジェネラリストなのかスペシャリストなのか?
っていう議論自体がなんだかナンセンスなんじゃないか?

と思えてならなくなりました。

では、
活躍できる人と活躍できない人の違いとは何なのでしょうか?

色々サロン内で話した結果、

「学習と意図を結びつける能力」なのではないか?となりました。

人には意図があります。
目標という言葉に言い換えられるかもしれません。

ここでいう「意図」とは「普段から意識していること」です。

意図というのは例えば
「彼女をつくる!」
「営業成績1番になる!」
「社会から理不尽をなくす!」
「売上1億円あげる!」
「身の回りの人を幸せにする!」

などいろんなものがあります。

以前ブログで
人は赤ん坊の泣き声からでも学ぶことはできる。という記事を書きましたが

掃除をしていようが
漫画を読もうが、
スポーツをしようが
何をしても学ぼうと思えば何らかの気づきや発見があります。

そしてその学びを自分の意図に結び付けられる人は活躍できる傾向が高いのではないか?という話です。

どういうことかというと、

例えば、僕が
「彼女がほしい!」という意図を持っていたとします。

そんな意図がありつつ、
営業で失注したとします。

なんで失注したのか?
自分の何が相手に刺さらなかったのか?
相手は心の中では何を考えていたのか?

例えば、相手の表情が一瞬曇っていたにもかかわらず、時間を気にしてそのまま先に話を進めてしまったことが悪かったな。。

という反省があったとすると
こういった思考はそのまま恋愛にも活かすことができそうです。

デートどこに行くかを話すとき、
2軒目に行くかどうかを話すとき、
何を食べるのか?を決めるとき

相手の表情を観察して
少しでも曇ったら勝手に進めずにもっと話を聞くようにしよう。

といった感じです。

恋愛と営業は似ているところがありますが
一見関係ない学びも同じです。

例えば、
仕事で社内に連絡事項をメールで伝える時に

「どんな件名にしたらみんな中身を見てくれるかな?」
「文頭をなんて書いたら、興味持って最後まで読んでくれるだろうか?」
なんてことを考えるとします。

これはそのまま
好きな女の子とどういう風にラインをすればいいのか?
みたいなことに応用できそうです。

こういう風にして

日常生活を送っていく上で手に入れる多くの学びを
意図に結び付けて行動変容する。

この能力が高ければ

①日常のあらゆることから学ぼうとします。
意図の実現をつねに考えているので、表面上の知識や薄い学びだと意図に学びを活かすことができません。
意図に応用可能なレベルまで学びを深掘りしなければいけません。

②意図への理解がものすごく深まる
日常のあらゆることを意図に結びつけることをしていると
それだけ意図への理解が深まります。
どんどんどんどんスペシャリストになっていきます。

なので、スペシャリストかジェネラリストか?という議論は
どうでもよく

・自分の中に強烈な意図があるのか?
・その意図の実現のために日常のあらゆる出来事から学べているのか?

この2つの力を身につけることこそ
AI化が進み、単純労働がなくなっていくと言われる社会で必要な力だなぁという結論に至りました。

自己分析の目的

最近哲学の本を何冊か読んでいると
人生とは?
自分とは?
価値観とは?

みたいな抽象的な思考にふける機会があります。

そんな中でいろいろ考えることがあるので
その思考を無理やりこのブログを利用してまとめてみることにします。

「人は比較を通してしか考えることができない」
ということをまず思いました。

かわいい
かっこいい
おもしろい
たのしい

これらは単体では存在し得ません。
ブサイクがいるから可愛いがあるし
かっこ悪いがあるからかっこいいが存在するし
つまらないがあるから面白いがあります。
たのしくないことが楽しいことを作っています。

そうです。
みんな同じ顔で同じ声で、やることも考えることも同じであれば
カッコイイなんて概念は存在し得ません。

つねに思考は何かとの比較によって起こります。

そうすると、
幸せに生きることが人間の目指す姿だとすると
幸せも比較で起こります。

では、幸せとは何との比較で決定づけられるのでしょうか?

自分の過去の体験ではないかと思います。

ジョン・ロックは「タブララサ」を主張しました。
タブララサとは人は誰しも白紙の状態で生まれてくる。
という内容です。

白紙で生まれてから家庭環境や付き合う人、育つ環境、触れるものによって個性が作られていく。
というものです。
なので生まれた瞬間というのは真っ白な状態なので考えることができません。
(比較するものが存在しないから)

自分が何に喜びを感じるのか?
何にワクワクするのか?
は自分の原体験から経験として蓄積されます。

それによって何が幸せなのか?
という価値基準が形成される気がします。

ということは
自己分析の目的とは
「自分なりの幸せの価値基準を明確にすること」なんだと腑に落ちました。

幸せを
収入とか知名度とかどれくらいモテるか?とか頭の良さとかで測ってしまうと
上には上がいるのであり、
一生不足している感覚で生きざるを得なくなります。

それはちょっときついなぁと思います。

他人の指標で幸せを測っていると誰の人生を生きているのかわからなくなってしまいます。

自分自身の幸せの基準を決めることが
人生を豊かにする最短の道なのではと。

もう1つ哲学を学んで迷いだしたものがルサンチマンというものについてです。

幸せとは何か?の基準は過去の経験から決定づけられる旨を書きましたが

人にはルサンチマン=やっかみが存在します。

例えば、
お金を稼いでいる人に嫉妬して
「人生お金じゃない」と言う人がいます。

人脈の広い人に嫉妬して
「人脈なんて広げる意味なんてない」と言う人がいます。

これらの意見は本当にその人の価値観なのか
実は嫉妬しているだけなのか、どちらなのか?という話です。

「年収300万あればいいんです。」
と言っている人がいたとして、

3000万くらい年収稼いだ人が言う
「年収300万円あればいいんです。」と

長年働いていて、年収ずっと300万円の人が言う
「年収300万円あればいいんです。」という言葉は

全然違います。

なぜなら年収300万円では見えない世界が年収3000万円にはあるからです。
おそらくできることも、選択肢も、付き合う人も変わります。

その上で「年収300万円あればいい」と言うのは本当にそういう価値観なんだなと思うのですが

ろくに稼いだことのない人が
「年収300万円あればいい」というのは
稼ぐことを諦めているか、稼いでいる人に嫉妬しているだけなのかもしれません。

なのでルサンチマンなのかどうかを判断するためには
食わず嫌いにならず、とりあえず色々食べてみることが効果的だと思いました。

自己分析は机の上で考えることではなく
新たなアクションをしたり、いろんな成果を出す上で自分が何を感じるのか?を感じる行為なのではないでしょうか?

自分の価値基準を明確にする。
そのためには、食わず嫌いにならず色々チャレンジしてみる。

20代は色々判断せずにいろんなチャレンジをしてみます。
自己分析を極めて、確固たる自分の価値基準を明確にしたいものです。

やりたいことなんて手段

やりたいことは何か?と聞かれると

僕には数え切れないほどのやりたいことがあります。
・宇宙行きたい
・南極行きたい
・高校と何か仕事したい
・福岡で仕事がしたい
・カンボジアに花火を盛大に打ち上げたい(これは3月にやる)
・20代のオンラインサロンを作って盛り上げたい(今取り組み中)
・サハラ砂漠のマラソンに出たい(こちらは再来年に出ます)
などなどなど

たくさんあります。

「やりたいことがありません。」という学生にたまに出会いますが、
話を聞いていくと必ずやりたいことは出てきます。経験上100%やりたいことは出てきます。

では、

やりたいことは何から生まれるのか?

ということを最近考えました。

1つの仮説として
やりたいことは、「自分がやってきたことのなかからしか生まれない」というものです。
僕自身、やりたいことをいくつか例としてあげてみましたが
全て自分の過去の体験に基づいています。

・宇宙行きたい
→宇宙兄弟読んで面白かった
・南極行きたい
→アルゼンチンに行った時に南極行きのツアーがあって魅力的だったがお金がなくて参加できなかった
・高校と何か仕事したい
→高校むけにセミナーをやった機会があって、その時が楽しかった。もっと深く高校に入り込みたいと思った
・福岡で仕事がしたい
→福岡にたくさん知人がいて、福岡の人が大好きになった
・カンボジアに花火を盛大に打ち上げたい(これは3月にやる)
→カンボジアに9回行っていて村に友達がたくさんいる。花火師の人と話して面白かった
・20代のオンラインサロンを作って盛り上げたい(今取り組み中)
→20代向けのイベントやったら意外と人数簡単に集まったので、集客力活かして価値ある場をつくりたくなった
・サハラ砂漠のマラソンに出たい(こちらは再来年に出ます)
→マラソンが好きだった。サハラマラソンに出たことがある人と話して面白そうだと思った

今までに経験もしたこともなければ知らないことを
やりたい!なんて急に思うはずがありません。

カンボジアの村の子供に「将来何になりたい?」と聞くと
・学校の先生
・お医者さん
・運転ドライバー
・飲食店の経営
などが出てきます。
面白いことに出てくるのはほんとうにこの5種類くらいです。
なぜかというと簡単でこの5種類くらいしか職業を知らないからです。

日本の子供についても
最近「将来何になりたい?」と聞くと
・ユーチューバー
・エンジニア
・社長
・プロ野球選手
などが出てきますが
これも同じく、その職業しか知らないからです。

知っていること、やってきたことからしか
やりたいことは生まれない。

当たり前のことかもしれませんが、
この説はある結論を導くことになると思います。

それは、
「やりたいことは、今後やることによって変わる。」ということです。

例えば、
僕は今、教育に興味があって「すごい会議」という経営チームのコーチングをしていますが

プログラミングを極めよう!とエンジニアになり始めたら
やりたいことは変わるでしょうし

動物園で働く!と決めて2,3年動物園で働いたらやりたいことも変わりそうです。

まぁ、いろんなことやってもやりたいことが変わらないかもしれませんが
それでも自分が今後何をやっていくのか?によって
やりたいことが変わる可能性が多分にある。
ということはものすごく自分の中で腑に落ちています。

実際、自分自身の将来の夢もやってきたことに依存していました。

幼稚園の頃は保育士になりたかった(周りに年下の子がたくさんいてよく面倒をみていたから)
小学生のころは漫画家になりたかった(漫画が好きだったから)
中学生のときは教師になりたかった(学校の先生が好きだったから)
高校にあがると弁護士になりたかった(弁護士の人と活動することがあって)

小学生の時に
将来の自分が経営チームのコーチングをしていることなんて想像していなかったし、考えることすらできませんでした。
(そもそもコーチングという言葉を聞いたことがなかった)

やりたいことをベースに人生を設計することは
人生をかけて成し遂げたいことが見つかっていない限りやらないほうがいいんじゃないかなと思います。

だって、やりたいことはどうせ変わっていくものなのだから。

だから僕は
やりたいことは何か?で人生設計するよりも
生きたい人生は何か?で人生設計したほうが幸せになると信じて、そうすることにしました。

そして、やりたいことは何から生まれるか全く想像つかないので
何でもかんでもいろんな経験をこれからもたくさんしていくつもりです。

ということで、何か機会があったら誘ってください!

言いたいこと・言うべきことを言う

社内の意見箱を設置しよう。
匿名性で誰でも会社に対して自由に意見を言える仕組みを作ろう!

上司の360度評価は匿名性です。
部下は日頃言えないことなどを定期的に上司に表現できる機会があります。
上司は定期的に自分のマネジメント方法の過ちに気付く機会があり、匿名性なので
人間関係がこじれることもありません。
部下は言いたいことを伝えることができます。

という組織はありますでしょうか?

みなさんは
こういう仕組みや組織についてどう思いますか?

私は、
ものすごく違和感を覚えてしまいます。

ずっとモヤモヤした違和感があり、
カンボジアから日本に帰国する飛行機の中で
「このモヤモヤはなんなんだろう?」ということを考えた結果、いくつか言語化できたので
それを書きます。

◯言いたいことあるなら、その場で言えよ感

Googleの調査で最も生産性の高いチームは「発言の安全性が担保されているチームだ」という結果が出たことを以前ブログで書きました。

言いたいけど言えていないこと
思っているけど伝えていないこと
問題だと思っているけど放っていること
直して欲しいけど伝えていないこと

こういったことがあればあるほど生産性は下がるということです。

こういう結果が出てるんだったら、
半年に1回、フィードバックの機会をつくることよりも
その都度フィードバックし合える関係性を築いたほうが
組織の生産性が上がる=売上や利益が出るし社会に対してより価値あるインパクトを出せるということです。

だったらそういう機会をつくったほうがええやん!となります。

言うは易し行うは難し
なことは重々承知です。

「どのようにすれば上司部下関係なく、何でも言い合える組織を作ることができるだろうか?」
という疑問文を多くの組織が解くことができれば、そのご利益は計り知れないということです。

匿名性だから言いたいこと言えるやん!というよりも
匿名性でないと言いたいこと言えない環境そのものが大問題だ!という話です。

私は本当に上司に恵まれていて、
いつも私の意見に耳を傾けてくれる先輩に囲まれています。

大学時代、ある団体をつくって活動していた時です。
関西にいたので「いじる」というのが愛を伝えるコミュニケーションとして確立している文化でした。
そんな中で、ときたま冗談で「死ね!」という言葉を発する先輩がいました。

冗談で言っているのは分かっていたし、その勢いで場が盛り上がるので、全然楽しいのですが、
私は昔からその言葉が嫌いで、その言葉を聞いた瞬間に、テンション下がります。
なので先輩に言うことにしました。
「死ねっていうのやめてもらえませんか?冗談っていうのはすごくわかるんですけど、ものすごく嫌な気持ちになるんです。」
冗談というのは誰もが承知しているので、「そんな細かいこと気にするなんてめんどくせえ奴だなあ」と思われても仕方ないし、
実際そう思われるのは嫌で先輩に言うことを躊躇っていました。

ところが言ってみると、先輩は真剣に聞いてくれて
「分かった。お前の前では言わないようにするよ」と約束してくれ、以来、使わないようにしてくれました。

どすえの社長である川井もそうです。
よく社外の人から「怖そうだよな」と言われるのですが笑

1度も怖いと思ったことはないです。
むしろ、自分がこうしたほうがいいと思っていることは全部言えるし、
全部聞いてくれます。
こういうのはやめてほしい。というのも話すことができます。

大学を卒業してすごい会議に入ったので
この環境が当たり前だと思っていましたが
最近、同年代の人と話す機会が何度かあると

なんでも言える上司がいる人が圧倒的に少数派であることを知りました。

関わる中で、否定をしてくる人と仕事をしたことがあります。
実際、言ったほうがいいと分かっていることでも
ぐちぐち言われそうだし、言うのやめよう。。という気持ちになりました。

その時のことを思い出して、
間違いなく言いたいこと言えない組織の生産性は低いなぁと確信しました。

◯匿名性だったら具体的なことなんも書けんやろ説

匿名性のメリットは犯人探しをされないことにあります。
言いにくいことなんて組織であれば100%あるはずです。

匿名性にすることでそういった隠れている問題がテーブルに乗るのであれば
ものすごく価値があります。

逆説的ですが
匿名性=誰が言っているかわからない
という暗黙のルールがあります。

つまり、
匿名性のアンケートや意見箱で
誰が言っているのか特定し得る内容はルール破壊になります。

そうすると
誰が書いているのか?を特定できないような表現や内容が書かれがちになってもおかしくありません。

抽象的なことを書かれると改善しづらいです。

「もっと優しく接して欲しい」みたいなフィードバックでは
言われた方も何をどう変えていいのか?考えにくいです。

「ミーティングで意見を言った時に、は?と言うのをやめてほしい」のような具体的なフィードバックだと
言われた方も改善しやすいです。

ということはつまり、
部下からの評価そのものも
具体的な言動に基づいた評価でやったほうがご利益が高そうな気がします。

飛行機事故は副機長の操縦時より機長の操縦時の方が圧倒的に割合が多いと言われています。
(おそらく副機長は機長に意見しづらいから)

率直なフィードバックを積極的に促している風通しの良い企業はそうでない企業に比べて
株主総利益率が2.7倍も違うという調査結果も出ています。

なんでも言い合える文化づくり
は多くの抵抗が起きたり
主に上の立場にいる人間の勇気をものすごく必要としますが

想像もできないような
ご利益がたくさんありそうだなと
今までの自分の人生を振り返ってみても思いました。

匿名性のアンケートにもたくさんメリットがあります。
その一方で自分がモヤモヤしていた理由が飛行機の中でしっかり整理できました。

アンコールマラソン!!

カンボジアのアンコール国際ハーフマラソンに出場してきました。

世界遺産のアンコールワット遺跡群の中を21km走ります。
遺跡や自然にものすごく元気をもらいながら走れます。

めちゃくちゃ楽しかったです。
オススメです。
楽しすぎたので、来年も出ようかと思います。

日中は40度近い気温になってとても走れる状態じゃないので
(学生の時に日中ランニングしたら脱水症状になった)
朝6時スタートでレースが始まります。

朝4時に起きてレースの準備です。
ホテルで朝食を食べて、会場に向かいます。

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ものすごい人です。
活気がすごいです。

いよいよスタート!ということで6時5分前くらいでしょうか?
会場の特設ステージにて準備運動が始まりました。

スタート5分前にストレッチ?と思いましたが、
案の定ぜんぜん終わりません。
6時を過ぎても、ストレッチは続きます。

もともと時間にルーズな国ですが
さすがに国際マラソン大会と謳っているだけあってスタート時間くらいは守るだろうと思っていたのですが、守る意思すら微塵も感じませんでした。

6時10分くらいから、なんか偉そうなカンボジア人のスピーチが始まりました。
市長なのか、大会理事長なのか、州長なのか誰かはまったく分かりませんでしたが、

絶対走ったことねえだろw
という体型でした。

長々とスピーチが繰り広げられますが、クメール語まったく分かりません。
時たま笑い声が起きますが
まったく分かりません。

そんなこんなで
結局6時25分くらいにスタートしました。

アンコールワットのサンライズが6時くらいだったので
サンライズと共にレーススタートです。

日が出てくると暑いなぁと思っていたのですが
コースが基本的に木々に囲まれていてずっと日陰です。

東京と違って、日陰はものすごく涼しいんです。
めちゃくちゃ走りやすかったです。

遺跡にパワーもらうし、
沿道にはたくさん子どもたちがいて
「はろー」と言いながらハイタッチを求めてきます。

めちゃくちゃ可愛いんですこれが。

ハイタッチすると、
力的には進行方向に対して逆向きに押されるのでエネルギー消費してるはずなのですが
ものすごくエネルギーが上がって、スピードも上がります。

不思議です。

本番までの2週間くらい一切走っていなかったりして
後半かなりバテました。

参加者は白人が多くて、ヨーロッパからたくさんの参加者がいました。
後半どんどん抜かれていきます。

きつくなってくると、だんだん弱くなります。
「歩こうかな」
「ペース落とそうかな」
「練習あんましていないし、しょうがないよな」
そんな心の声との葛藤です。

自分の中で色々実験してみました。
どんな自分との会話をしたらペースがあがるか?

・怒りパターン
抜かしていく人の悪いところをひたすら考えて、その人への怒りをエネルギーに変えてみました。
例えば、あんなじじいに負けるなんてありえない。みたいな感じです。
一瞬ペースは上がりましたが、抜き返すことができないと自己嫌悪に陥りました。
あぁ、結局どんどん離されていく、、、

これは失敗です。

・自分を褒めるパターン
きつい中で自分を過剰に褒めてみました。
練習していないなか、ここまで走れているのはすごい!まだ歩いてないのはえらい!
みたいな感じです。
ペースが落ちることはありませんでしたが、全然ペースが上がりませんでした。

これも失敗に終わりました。

ってな感じで色々自分との会話をためしてみたのですが
一番機能したなぁと思うのが

「人のために走る」ストーリーを設計したことです。

自分のために走っていると
歩いても、ペースが落ちても困るのは自分だけなので
痛くもかゆくもないわけです。

人のために走っているという解釈を作りだしました。
早く走り終わって、後ろで走っていると知り合いのゴール写真を撮ろうかな。

知り合いの荷物も取っておいて、先にゴールしてすぐ渡せるようにしておこうかな。

こんな感じです。

おもしろいもんで
それまで全然ペースが上がらなかったのに
「人のために走る」という解釈を創作した瞬間にペースが上がりました。

しかもなかなかペースが落ちません。

人のために走っているので
ペースを落とすわけにはいきません。
ペースを落とす=人に迷惑がかかる
という図式が成り立つようになったからです。

こうして、ペースが中盤ガクンと落ちていたのですが
後半持ち直してゴールできました。

自分のために動くのではなく、
人のために動く。

と設定すると
・諦められなくなる
・自分のモチベーションにパフォーマンスが左右されない
みたいなメリットが手に入るので

普段の生活や仕事でも活用しようと思いました。

パフォーマンスの高い人が
理念や社会のために行動されているのは
こういうことか!と納得する部分がありました。

今回、ある先輩に誘われて参加しまして、
日本の社長3人と共にずっと行動を共にしました。

普通に日本で生きていたら聞けない話をたくさん聞けて、
めちゃくちゃ最高の時間でした。

「カンボジアのマラソン出ない?」
「出ます!」

あの時、即答できた自分に感謝ですw
誘いにすぐ乗る。ことの価値を知りました。

来年、出たい人いたら一緒に出ましょう!