自分を肯定する話

先日、自称メンヘラの友達の恋愛相談に乗りました。

「メンヘラを解決したい」

ということで、課題解決を期待していたその友達と食事しながら、

普段、会議を専門に仕事している私としては
期待に応えたいと思い、

「今日のこの課題解決会議が終わったときにどんな状態になっていれば大成功ですか?」

と会議のゴール設定から始めました。

「メンヘラの原因を特定し、その予防策と陥った時の解決策を、、、、」

と話が進み、とある店で2人で
メンヘラについてずっと考えました。

とまぁ、メンヘラの話はどうでもいいとして

今日のブログは
自己肯定感の話です。

その自称メンヘラの友達との会議中も
自己肯定感というワードが頻出したのですが、

あなたの自己肯定感は100%中、何%ですか?

コーチングを受けているときに、

「自己肯定感に高い、低いなんて形容詞は適切じゃない。
自己肯定感というのはあるのか、ないのかの0か100だ。」

という話を受けました。

「肯定」という言葉を辞書で調べると
「ありのままを受け入れること」と出てきます。

「自己肯定感は80%くらいあります。」と言っている人は

20%の自分を受け入れられていないということになります。
これ、ありのままの自分を受け入れられていません。

「自己肯定感80%です。」って言っている人は自己肯定感ないです。

以前、私はとある理由でカウンセリングを受けていたのですが

その時の先生の本には

恋=〜だから好き!
愛=〜だけど好き!
条件付きの愛=〜であれば好き!

という区別が載っていました。

自己愛についても同じように考えられます。

本来自己愛というのは「自分はこういうところもあるけど、それでも自分が好きだ」
というもののはずが、

条件付きの自己愛になると、「こういう自分は好き。そうでない自分は嫌い。」

というものです。

いいところもわるいところも全部含めて自分なのであって
そんなありのままの自分を受け入れることが自己肯定する、ということだそうです。

自己肯定が低いと何が起きるか?というと

善か悪かという二元論が始まります。

例えば、
「ポジティブな自分は好き。ネガティブな自分は嫌い。」という条件付きの自己愛を持っていると、

ネガティブな自分が出た瞬間に
自分のことを嫌いになります。

また、自己愛がないと他者にも同様に接することになります。

ネガティブな人を見つけたら、この人はイケてないなぁ。
ネガティブな奴は嫌いだ。

みたいなことになります。

ポジティブな自分も、ネガティブな自分も、全部自分であって素晴らしい。

こう思えることが自己肯定するということです。

自己肯定できると
他者も肯定しやすくなります。

この理論からいくと、以下の特徴のある人は自己肯定感がないです。

・他者に自分の正しさを押し付ける人
(自分の〜すべき。というものを押し付けるということは、〜すべき、〜すべきでないの二元論の世界で生きているから)

・他者と比較して一喜一憂する人
(他者に優っている自分はいい、劣っている自分はダメだ。という二元論に生きているから)

僕自身もともと、ものすごく負けず嫌いで
人に勝つことをモチベーションに勉強もスポーツもあらゆることを頑張ってきました。

ですが、社会人になって、
コーチングやカウンセリングを受けて

自己肯定できるようになりました。

自己肯定できるようになった今と、それまでの自分との違いは

・言いにくいことを言えるようになった
・自分の主張を誰に対してもできるようになった(例えそれがぶっ潰されても)
・他者との勝ち負けに一喜一憂しなくなった
・毎日の焦りがなくなった
・今を楽しめるようになった

など
僕の中ではいいことづくしでした。

自己肯定感興味ある人は
そのカウンセリングの本教えるのでメッセージください。

ミスコン

なぜミスコンには批判が生まれるのか?

この秋、いろんな大学でミスコンが学祭で開催された。
見た目やそれぞれの特技を競い合い、人に順位がつく。

そして、そこには必ずと言っていいほど批判が起きる。

「全然可愛くないやん」
「そんなんでミスコン出るってやばくない?」
という出場者の見た目に関する批判から始まり、

「見た目に順位つけるなんて差別だ!」
「人権侵害だ!」
というミスコンの趣旨そのものの批判まで目立つ。

特に京都大学では、
ミスコンは人権侵害だ!というような糾弾活動により
企画されたミスコンが中止に追い込まれた過去がある。

ここで疑問が生まれる。
なぜミスコンだけが批判されるのか?

世の中にコンテストと呼ばれるものは腐るほどある。
お笑いコンテスト、歌声コンテスト、俳句コンテスト、フォトコンテスト、演技コンテスト、など挙げだしたらきりがない。

これらのコンテストには、ミスコンほどの批判があるかと言われるとそんなに聞いたことがない。
ミスコンだけがなぜか多くの人の批判が盛り上がるのだ。

この違いはなんなのか?

思うに、コンテストの評価対象に「人の見た目」があるかどうかだ。
問題はなぜ見た目の評価だといろんな批判が起きて、そのほかの絵のうまさだったり演技力だったりお笑いなんかは批判されにくいのか?ということだ。

1つの仮説は
努力して手に入れたものではなく、生まれながらに持っているもので比較評価されることに批判が起きる。ということだ。

一般に「差別」という言葉は
男女差別とか人種差別とか部落差別なんかが言われる。
男として生まれるか、女として生まれるかは選択できない。
人種も努力でどうにかなる問題ではない。
部落なんて本人にはどうしようもない。

これらの”自分自身ではどうしようもコントロールできないもの”で勝手に評価されて
チャンスが奪われたり、蔑まれたり、批判されることは理不尽以外の何物でもない。

では、見た目はどうなのか?
生まれながらにして見た目は選べない。

私だって欲を言えば
身長は180cm以上欲しかったし、
足ももっと長く生まれたかったし
福山雅治のような渋い声で
色気のある顔に生まれたかった。

確かに、自分ではどうしようもできない見た目で比較評価されて、勝手に順位づけされることは理不尽極まりないのかもしれない。

ところが、である。
以前、「かわいいはつくれる!」という花王のシャンプーのCMがあった。
「かわいいはつくれる」とネットで検索すると
化粧によって別人に生まれ変わる驚きの動画や写真記事がたくさんある。

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驚いた。
「可愛いは作れる」は真実だった。

こうすると、見た目というのは生まれ持った自分ではどうしようもできないアンコントローラブルなものではなく、ある程度自分の努力次第で変更可能なものなのかもしれない。

実際に、モデルをやっている友人がいるが
食事、髪の毛やお肌の手入れ、睡眠時間、運動などなど、あらゆるところに気を使っていて
「こんなに自分の人生を見た目の維持に投資しているのか!」と驚いたことがある。

見た目の美しさは
ほっといて手に入るものではないのかもしれない。

そう考えると
ミスコンとお笑いコンテストやフォトコンテストにはなんの違いもないのではないか?と思う。

必死に努力して自分の体型を維持して、「美しさ」を研究して、努力しているのだ。
評価しないほうがかわいそうという意見さえ生まれる。

個人的な見解だが
結局、見た目で批判している人ってただの嫉妬なんじゃないかと思う。
本当に興味ない人には関わらないだろうし、
自分には到底できないチャレンジをしている勇気に嫉妬しているんじゃないのかなと思う。

実際、僕も嫌いだなと思う人は
嫌いと思う一方で羨ましいと思う自分がいる。
あれだけ空気読まずに生きれるってすごいな、と思う。

「人は何か得るものがあるからその行動をする」とカウンセリングを受けている時に先生に言われたことがある。

批判する人は
何かを得たいがために、批判しているのだ。

批判することによって何を得ているのだろうか?
自分は間違っていない。あの人が間違っている。という深層心理の嫉妬の肯定化なんじゃないだろうか。

また、別の観点では
ミスコンはいろんな人が人生を変える場になり得る。

九大のミスターコンテストが個人的にはツボだった。

九大のエントリー者だが、控えめに言ってもカッコいい。
この人なんてなんかジャニーズにいそうだし、
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この人なんかめちゃ可愛い(男の僕でさえちょっと萌える)
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この人なんて反則なんじゃないかと思う。

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そんな中、グランプリに輝いたのはこの人だ。
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念のため、もう1度いう。
こいつだ。
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そもそもプロフィールがふざけている。

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批判されようがされまいが、なんてことはない。
自分の道を突き進んでいる。

1年生でありながら大学中で有名になり、
ツイッターでは投稿すると何十人何百人にリツイートされる。

影響力がすごい。

話は変わるが、ある人と話をしていて、
「影響力」の定義は何か?
という話になった。

そこで出た結論が
影響力がある。ということは
「言った通りになる。」ことなのではないか?ということだ。

「影響力がある人」と聞いて誰をイメージするだろうか?

大企業の社長や、総理大臣、ツイッターのフォロワーが多い人やユーチューバーあたりだろうか?

そういう人たちは大概影響力がある。
言った通りになっている。

ソフトバンクの孫正義さんは
創業日に社員を集めて
「わが社は5年以内に100億円、10年で500億円、いずれ1兆円企業になる」と演説したらしい。

言った通りに進んでいる。

ユーチューバーのヒカキンは豪雨被害への寄付を動画で呼びかけた。
「仮にですけど、今この動画を見て下さってる100万人の方が全員100円ずつ募金したと考えると、1億円になります!」と動画で言うと、
翌日には寄付金が2億円を超えたらしい。

言った通りになっている。

このミスター九大の伊藤くんも
今回のコンテストを利用して大きな影響力を手に入れているし、
チャレンジしなければ手に入らなかったものを数多く手にしている。

ミスコンは何位になったのか?ということが結果として語られるが
その過程において影響力を持つようになったり
今まで出会うことのなかった人に出会ったり、
今までやることのなかったことをやり始めたり
いろんな機会に恵まれる。

それだけでも出場する意味がある。

実は今度、
京都でミスワールドが開催される。
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日本の歴史上初のミスワールド京都大会である。

ミスワールドとは
「目的をもった美(Beauty With A Purpose)」を審査する大会で、外見だけでなく、日々考えていることや、日頃どんな活動をしているのか?などいろんな観点で評価がなされる。
(実際、社会貢献度やプレゼン能力など、知性が大きく評価される)

世界的なミスコンの中で唯一水着審査がないことでも有名だ。

実は私、運営にとある縁があって関わっていて
申込締切が11月30日と迫っているんです!!!(急に敬語)

エントリーは、日本国籍である16歳6か月以上、26歳以下の女性ならだれでもエントリーできます!
オンライン、はがきでの応募どちらもあります!!!(勢い)

書類審査通過後は
なんと今流行りのパーソナルトレーニングを始め、華道や茶道のお稽古などがあるんです!!!!!
(しかも無料)

自己成長は間違いないですね。
あと、普通に生きていたら体験できないいろんな経験ができちゃうわけです。
一生ものの経験です。

自分を変えたい
一気に綺麗になるきっかけをつくりたい
いろんな体験をしてみたい
何かにチャレンジしてみたい
影響力をもちたい

そんな人は、
こちらからエントリーしてください!
http://www.mwj-kyoto.com

聞きたいことがある!
質問したい!
と言う場合
私に連絡ください^^
ishida@sugoikaigidosue.jp

何かのきっかけが生まれればこれ以上嬉しいことはありません。

人脈

先月、お金関係でトラブルがあり、資金繰りに困る事態が発生しました。

Facebookで
「困っています!お仕事をください!」という旨の投稿をしたところ

投稿から3時間で650万円のお仕事が決まりました。

23名の社長から
メッセージや電話を頂き、
「こういうこと頼める?」
「こういうセミナーしてもらえる?」
「大丈夫?」
「こういう形であれば助けられるよ」

などの言葉を頂きました。

なんかもう世界に申し訳なくなる気持ちとともに
あらゆる感謝の気持ちが溢れ出てきました。

クラウドファンディングを私は2回したことがあり、
1回目は200万円、2回目は218万円の資金を色んな方々に出資していただき
今回、Facebook経由で650万円の資金を頂きました。

結局、クラウドファンディングも今回の件も、信頼残高をいかに使うか?
という話だと個人的に捉えています。

私は
「真に安定した人生を送りたい。」と大学時代に考えました。

私が思う、「真の安定」とは
決して終身雇用の安定した固定給の会社で働くことではなく、

所属する会社が潰れても
日本の景気がめちゃくちゃ悪くなっても、
何かの事故に巻き込まれ、急にお金が必要になっても
大切な人が突然いなくなっても
自分自身困窮しても
楽しく豊かに生きていける状態

を安定だと思っています。

だからこそ
「自分自身の名前で仕事がしたい」と思い
個人事業で働く意思決定をしましたし、

こうしてブログを書いたりして自分自身の価値をいかにあげるか?
ということを日頃意識しています。

稼いだお金は自己投資だ!と
いろんなセミナーや講座に使っています。

自分自身いろんな会社のお手伝いをやりつつ、
自分自身がクライアント側として
コーチングを受けたり
カウンセリングを受けたり
コンサルティングを受けたりしています。

自分自身を商品として商売をしているので
自分自身が成長し続けないと商品価値がなくなる。
という不安といつも付き合っています。

「石田一眞」と付き合っている価値を感じてもらえるのか?
にものすごく気を使ってこの3年間お仕事をしてきました。

今回、お金に困って
Facebookで不特定多数の人に助けを求めて
いろんな方が気にかけてくださって
いろんなことを考えました。

仕事をやっていると

「人脈」という言葉をよく聞きます。

人脈とは人と人の繋がりを指すので
人脈が「深い」とか「大きい」とかではなく、「広い」「狭い」という形容詞が使われます。

人脈とは繋がりの広さを言うので
より多くの人と繋がるかどうか?の指標としてみられていますが

豊かな人生を送るためには
「広さ」ではなく「深さ」のほうが重要だと思います。

そうすると
どれだけ深く人と繋がっているか?はいかにして測れるか?という話になります。

人脈だけで言うなら、
その人と連絡が取れたり、紹介ができたりする、会おうと思ったら会える。というレベルで十分繋がっていると思います。

では、「深さ」は何をもって判断できるのでしょうか?

今回のFacebookの記事の一件で思い出したのは

アメリカのホームレスの話です。
ガソリンが切れて困窮していた人に
あるホームレスが全財産の2000円を使ってガソリンを寄付してくれたそうです。
運転手はお金をもっておらず、何も対価を支払えませんでしたが
無事に家に帰れました。

後日、運転手がホームレスに恩返しをしようと
その人の社会復帰のためのクラウドファンディングを呼びかけると4000万円が集まった。
という話です。

ふつうに美談なわけですが
ポイントはこのホームレスがまともに会ったことのないような人に対して
有り金を全部叩いて手助けしたことです。

人とのつながりの深さとは
「その人のお困りごとに対して何の見返りも求めずに価値を提供してきた回数」だと思いました。

私の発見は
繋がりの深さに関しては、
その人のことを特に知らなくても繋がりの深さは深まる。ということです。

例えば、
電車でお年寄りの方に席を譲っている人がいたとします。

その人が改札でお金が足りずに立ち往生した場合
私はおそらくお金を渡すと思います。

その人が、全くの知らない人だった場合は
なにも気にせず素通りするかもしれません。というか多分素通りします。
(薄情者ですみません)

徳を積む。
といった言葉を聞いたりしますが

まさに徳を積む行為は
人との繋がりの深さを深める行為だなと思います。

人脈を広げる行為よりも
人との繋がりを深めることを大切にしよう。
と心に決めた出来事でした。

私は今回お仕事をくれた方々には頭が上がりません。

なんの見返りも期待せずに声かけしてくださったみなさん
本当にありがとうございました。

もっともっと徳を積んでいきます。

やりたいこと/ありたい姿

「やりたいことは何か?」
「何になりたいか?」
「将来の夢は?」

と言った質問を小さい頃からよく聞いていましたが
ずっと違和感がありました。

というのも

「やりたいことは何か?」
→やりたいことなんて食べたいものが変わるように、その時その時で変わるものだろう。
何もやりたくない気分の時もあるし、、

「何になりたいか?」
→なるものなんてあくまで手段なわけで。「プロ野球選手になりたい!」「ケーキ屋さんになりたい!」「医者になりたい!」よりも
「プロ野球選手になって何したい?」「ケーキ屋さんになってどうしたい?」「医者になってどうしたい?」の質問のほうが本質な気がしてならなかった。

「将来の夢は?」
→昔から1年以上先のことを考えられない人間でした。3ヶ月以内のゴールを追い求めるのがものすごく好きでエネルギーも上がるし、大量行動もできました。

ってな具合で
将来的なことは考えられない性分でした。

ところが小学生の頃から常に周りに問われます。

将来は何になりたいの?
夢は何?

今が楽しければ最高!
って感じで鼻水垂らしながら生きてきた私にとって
これらの質問は非常に困りました。

最近思うのは
考える価値ある問いは
何をやりたいか?
何になりたいか?
よりも
私は誰として生きたいのか?
自分はどうありたいのか?
のほうかなということです。

あなたは何者ですか?

という問いです。

私は
旅人として生きたい。
というものがあります。

人との出会いをきっかけに
予想にもしなかった方向に話が進んでいくこと。

いろんな人の価値観に触れて自分の考えがアップデートされたり、
世界の偉大さに驚きハッとする瞬間がたまらなく好きです。

旅人として生きる。
と決めると
仕事をしていようが、旅行をしていようが、何かイベントを企画していようがどんな時だって人生楽しめます。

何をやるか?というよりも
どういうスタンスで取り組むか?
が確立されていくと
ある程度なんだって楽しいです。

お仕事も
人との出会いが好きなので常に毎日新しい人と会っています。

そして、ひょんなことから仕事が始まります。

そんな働き方がものすごく性にあっています。

また、旅人と同じくらい
少年としても生きたいなぁと思います。

少年は疲弊しません。
少年は目を輝かせています。
少年は新しいものにどんどん飛びつきます。
少年は好奇心旺盛です。

(以上、私の少年のイメージ笑)

何をやりたいのか?
どうなりたいのか?
という質問につかれたとき、

私は誰なのか?
と向き合ってみてもおもしろいなぁと思います。

私は10年以上
何になりたいか?何がやりたいか?という問いに苦しめられましたが

今は
どうありたいのか?
という問いと上手に付き合えている気がしています。