自責とは

自己啓発書や組織の行動指針みたいなところでよく目にする言葉が

自責・他責という言葉です。
自分ごととして考える、当事者意識をもつというキーワードもあります。

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マネージャー「お前、そばで見てたのに何も動かなかったの?」
部下「はい、、」
マネージャー「お前さ、もっと物事を自分ごととして考えろよ」
部下「はい、すみませんでした。」
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こんな会話が繰り広げられている組織があったとします。

私は思うわけです。

「このマネージャー、自分ごととして考えてないやんけ」

部下の判断ミスや行動不足を叱責し、怒っているわけですが

”自分ごととして捉える”としたら
「そういうリスクを考えられていなかった自分が甘かった」
「自分の育成能力を過信していた。もっと丁寧に教えていかなければ」
「どうやったら次同じ問題が起きないだろうか?」
みたいな思考になるはずです。

にも関わらず、
「もっと自分ごととして考えろ!」というのは

私にとっては
太ってる人に「君、もっと痩せた方がいいよ」と言われるようなもんです。

「できてないやつに言われたくねえよ」が起きます。

「自分に責任持てよ。」と会話がなされているチームには
本当の意味で責任取っている人はいない可能性すらあります。

一方で
全ての問題の責任を自分だと仮定します。

アフリカの飢餓も
地震による被災も
不景気による業績の悪化も
社員のAさんがやめたのも
彼女が機嫌が悪いことも
全部僕が悪いんだ。

こんなの辛すぎませんか?
私だったら耐えられません。

では、
アフリカの飢餓なんて知ったこっちゃないし、
社員のAさんがやめたのも私は一切関係ないし、
業績の低迷も私には関係ないことだ。

こんな風に思っていると
なんか無責任すぎる気がします。

ある女友達と話をしていると、彼氏が自分の嫌なことをしてくるようでした。
「やめて」と言ってもなかなか直らない。
しまいには、「私が悪いのかな、、」と言い出す始末。

その女友達は「自分が悪い」というように自分に責任をもっているわけですが
話を聞いていて、「いや、それ彼氏が悪いやろw」なんて思っちゃうわけです。

ここまで考えて、

私は
「自責」の意味を全然掴めていないな。と気付きました。

「自分に責任をもつ。」この言葉とどのように付き合うのが人生をより豊かにしてくれるのでしょうか?

分からない時は語源を調べます。
責任= responsibility

response+abilityから成り立っているようです。
(反応する+〜の能力がある)

つまり、
責任とは「反応する選択肢を持っている状態」を意味しているわけです。

ここでもう1つ。
反応とは何か?という話になります。

反応=ある働きかけに応じて起こる物事の働き
と辞書にありました。

いまいちピンときません。
拒絶反応とか生理反応とかありますが、

おそらく責任に対応するrespnseの意味は

”反応”というより”対応”のほうかと思います。

反応=意図せずとも起きること
対応=意図をもって起こすこと

つまり、この違いは何かというと
例えば
あくびは反応です。
脳に酸素が足りていなかったり、脳みその働きが鈍っていると時に否応がなしに身体があくびをしてしまうわけです。
あくびをするぞ!と思ってもあくびはできません。

あくびをする時に手で口を隠すのは対応です。
口を隠さないこともできますが、「人前だし隠した方がいいだろうな」と自らの意思で選択をして口を手で覆うという行動を意図的にとるわけです。

ここまで整理すると

責任とは「外部の働きかけに対して、対応する選択肢をもっていること。そしてその選択肢を意識的に意思決定すること。」です。

要は選択なわけです。

例えば
「給料が望むレベルで手に入っていない」状況があるとします。

自責でない人は
選択肢がないわけですから
給料が低いことを自分にはどうしようもないことと考えています。
その状況を変える選択肢がないわけです。

自責の人は
選択肢があります。
どんな仕事をしたら給料が上がるだろうか?
転職したほうがいいのかな。
成長して出世していくのも面倒だし、やっぱこの給料で我慢するか。
いろんな選択肢を考えます。
その上で自分で決めます。

決めるというのは、
自分のできることを増やして価値発揮して給与を上げていくことかもしれませんし
より給与の高い会社への転職をすることかもしれませんし
*給与が低いことは諦めてそのまま働き続けることかもしれません。

自責でない人と自責の人の最後の例(*の部分)は
結局何も新しい行動に踏み切っていないので一見同じですが
いろんな選択肢があった上で、何も変化しないことを意図的に選んでいる点において違います。

アフリカの飢餓のニュースを見て、
実際にアフリカに行く人もいれば
募金をする人もいれば
何もしない人もいます。

どんな選択であれ、いろんな選択肢がある中で自分で決めている人は責任を持っているわけです。(例えそれが何もしないという結論だったとしても)

責任を持っていない人は
選択肢が「何もしない」の1つしかなくてそもそも選択するという概念がないことを言います。

自責でない人は自分で自分の人生をコントロールできず、
自責の人はどんな結果であれ、自分で自分の人生をコントロールしています。

以前、
「神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授は、国内2万人に対するアンケート調査の結果、所得、学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えていることを明らかにしました。」

という研究結果が明らかになりました。

自責であること
自分ごととして捉えること
とはつまり、幸福感を得るために必要なことだったんです。

自分の人生に責任を持って幸福感高く生きていきます。

何でも言っていい場

飛行機事故のうち

・機長が操縦していた時
・副機長が操縦していた時

とでは
圧倒的に機長が操縦していた時の方が事故の割合は多いそうです。

うまくいく会議のポイントは何か?とよく聞かれたりするのですが
・主張すること
・何でも言っていい場をつくること
の2つは非常に大事だと思っています。

会議をするときに
「主張すること」を我々は非常に重要視します。

「〜したい」
「〜したほうがいい」
「〜を変えるべき」

このような、
正解かどうかは分からないけど、現状を打破する主張が未来を変えます。

「訪問件数が今月◯件だ」
「佐藤さんが〜と言っていた」
「僕は〜をしていない」

などいくら事実を述べても未来は変わりません。

もう1つ、主張と同時に重要視しているものに
「何でも発言していい場づくり」があります。

いくら「主張が未来を変えるんや!」と言っても
主張するたびに、何かを否定されたり、無視されたり、評価されたりしていると
主張しづらくなってしまいます。

ある営業会社で
ずっと成約率をどう上げるのか?という問題解決をしていました。

毎日みんなでロープレしよう。
相手に与えることが大事だから徹底的にギブしよう!
トップ営業マンの言っていることを全営業マンに共有しよう!

いろんな策を練るのですが一向に成約率が上がりません。

会議をしていて
「ずっと感じているものの言えていないことは何ですか?」
と聞いていくと

ある営業マンが
「おれがお客さんだったら他社の商品買います」

と言いました。

そのときの周りの会議参加者の反応はと言うと、

「いやいやそんなわけないやろw」
「え、まじ?そんな風に思ってたの?」

と言った発言内容に対するリアクションではなく、

「あ、それ言っちゃう?w」

という発言したことに対して驚きのリアクションでした。

どういうことかというと、

「おれがお客さんだったら他社の商品買う」
という意見が誰もが思っていたことだったのですが
誰1人として口にしてこなかった。ということです。

結局この会社は
営業の問題じゃなくて商品の問題ですよね。
ということになり商品そのものを見直し、
成約率も売り上げも大きく上がりました。

感じているのに
言えていないとだけで問題解決できるものもできなくなってしまうことがあります。

ただし、
それは多くの場合言いにくいことで、主張することに大きな勇気が求められることかもしれません。

機長は副機長に対して意見を言うことは容易です。
もっとこうしたほうがいい。
こういうリスクがあるよな。
それはやめたほうがいい。

そうやって事故のリスクを早めに察知して危険を回避します。

一方で
副機長が機長に対してどれだけ意見が言えるのでしょうか?

(きっと機長のことだし、何か考えがあってこうしているんだろうな)
(ベテランの機長がこんな判断ミスするわけないよな)
(お前は全然分かってない!とか怒られるかもな)

勝手にこんな風に判断して
思っていることを言えないシチュエーションがあり、
それによって事故件数が副機長が操縦している時よりも多いのかもしれません。

思っていることを言わない、ということは
シンプルに

言うよりも言わない方がいいことがあるから言わないということです。

・波風立たない
・めんどくさいことにならない
・怒られない
・否定されない
・馬鹿にされない
・自分の無能さを突きつけられない

こんないろんな相手の反応が
言わない方がいいんだ。という世界を作り上げます。

実際に私自身も
なんでも言える先輩と
思っていることを言わない先輩とがいます。

そして同じように
何でも言ってくれているな!という後輩と
こいつ思ってること言ってないだろうな。という後輩がいます。

おそらく
何でも言って大丈夫という場づくり・その人との関係性が作れていないです。

事故が起きる前に、
その関係性を作らねば!
と思った京都から宮崎への飛行機でした。

p.s.
実は今回、すごい会議のみんなで(40名ほど)京都に集まり、
サービスのクオリティ全体を見直そうという会議をしました。

その中で先輩後輩関係なくフィードバックし合ったりする場面や
言いにくいことを勇気を出してみんなが発言してました。

何でも言っていい場をつくることのメリットを心底感じた京都の会議だったので

明日からの会議でより一層
場づくりに働きかけていきます。

Rule

あなたの組織にはどんなルールがありますか?

昔から僕はルールが嫌いでした。

自由を制限されている感じがして
ものすごく窮屈な思いをしていました。

中学の時なんて
「ルールを破るオレ、かっこいい。」なんて思っていました。

そして先生に
「校則で決まってるから」と怒られることに
この上なく憤りを感じていました。

「ルールで決まっているから」

一瞬で思考を停止させる言葉です。
もう例外を認めさせず、反論を許さない決め台詞のように感じました。

ルールはなぜ存在するのでしょうか?

実は僕はなんちゃって法学部だったのですが
何かの問題解決でルールが設定されます。

飲酒運転は道路交通法ができた当時は違法でもなんでもありませんでした。
悪質な飲酒運転による事故が増えて
罰則が生まれ、
罰則が強化されていきました。

ルールは
何か問題が起きた時(起きる可能性がある時)に、
2度とその問題が起きないための解決策として制定されます。

そうするとここには自ずと2つの前提が成り立つはずです。

①ルールはある問題が起きることを防ぐものであること
②対象者はルールを守る存在であること

この2つが成り立っていないとルールを制定する意味がありません。

先日ある社長と会話していた時に
「車を運転していて、スピード違反している奴は100%全員取り締まるべきだ」
ということを話していました。

現状、高速道路や下道で
法定速度を破りスピード違反で捕まった人は何を思うでしょうか?

「ルールを破って捕まってしまった。おれが悪かった。次からは制限速度以内で走ろう。」

私は、そんなことを思うとは思えません。

きっと
「運が悪かった。今日はツイてなかった。」
と思うはずです。
(少なくとも僕だったらそう思います)

それはルールを破っても罰せられない経験があるからです。

学校の校則でも似た経験があります。

私の出身高校は宮崎のある進学校だったのですが
月に1回定期的に風紀検査というものがありました。

男子は髪が耳にかかったらアウトだし、眉を剃ったらダメだし襟に髪がかかるのもアウトでした。
女子は肩より長い髪は結ばなければならなかったし、スカートの長さも制限されていました。
ただし、みんな守るのは検査がある時だけです。
なぜならば検査がない時に破っていても特に何も言われないからです。

形骸化していて本当に意味のないことをしているなぁと高校生の時に思っていました。

会社においても同じです。

守らなくても特に何も言われないれべるのルールであればない方がいいと思います。
ルールの持つ前提(対象者はルールを守る存在であること)が壊れているからです。

すなわち、ルールとして定める以上は
ルール違反があった時に誰かから即座にフィードバックされる仕組みがないと
そもそも当初の目的であった問題解決にならないです。

行動指針なども同じです。
組織で合意されている行動指針に沿わない言動があった時に
そこについて
「あなたは今、行動指針に沿わない言動をしていますよ」
とフィードバックされていないと

行動指針の目的である組織のありたい姿の実現が遠のいてしまいかねないんじゃないかなと思います。

ルールは思考を止める可能性があります。
(何かの問題解決のために制定されているルールが、ただ単に「定められているから」という思考になり、本質を見失いかねない)

一方で、余計なことを考えなくて済むというご利益もあります。
(例外を認めず、ルールが徹底されているとルールの中でどうするか?を思考するため思考の節約になる)

あなたの所属している組織にはどんなルールがありますか?

そのルールは機能していますか?

座右の銘

「学校の先生に言われたことで今でも覚えていることは何ですか?」

という質問を知り合いの方がFacebookで以前投稿していました。

沢山の方が回答していて
しばらくその回答を見るのが楽しみになりました。

反面教師的に忘れられない言葉もあれば
人生の指針になるくらいその人の大事な価値観を形成している言葉もありました。

私の場合、なによりもまず思い出したのは
中学校の時に給食のパンで遊んでいたら

先生が怒って
「今すぐパンに謝れええええ!!!」
と怒鳴ったことです。

友達と全員で中1の時に
パンに「ごめんなさい。」と頭を下げました。

パンの話は一旦置いておいて、
わたしには小学校の先生に言われて
ずっと覚え続けている言葉があります。

それは

【天命を信じて人事を尽くす】

という言葉です。

どこかで聞いたことありますか?

日本の諺に
「人事を尽くして天命を待つ」
というものがあります。

そうです。よく知られた諺の変化系です。

元々の
人事を尽くして天命を待つ。
の意味は

できることをやりきったら、あとは結果を待つしかない。

みたいなことです。

小学校で学び、ずっと忘れず自分自身の行動の源泉になっているものが
この

天命を信じて人事を尽くす

です。

もとの諺の通りだと、

やることやって、あとは神様に頼みましょう。
というどこか他力本願的な意味合いがあります。

たしかに、やることやりきった後の話なので、もうやることはなく、それはもう結果を待つしかないことなのかもしれません。

天命を信じて人事を尽くす。
だと、
きっといい結果が待っている。
だからそのために今出来る限りの事をしよう。
とそんな意味に捉えています。

今出来ることをやりきろう。

このスタンスは
小学校で学んでから
ものすごく私を助けてくれました。

どれだけ辛いことがあっても、
天命を信じて(この辛い経験の先にはきっといいことがまっている)

人事を尽くす(だから今出来ることを精一杯やろう)

というスタンスがずっと備わっています。

ですから
中学校以降、基本的に3分以上落ち込んだことがありません。
(このスタンスのおかげで落ち込んだ人にどう接していいのか分からなくなってしまっていますが)

常に
天命を信じて人事を尽くして来たからです。

まず、
どんなことがあっても天命を信じていたので
前を向けます。

そして
人事を尽くし続けているので
前に進み続けます。

人生振り返って
この言葉で本当に自分の人生は変わったなぁと思います。

俗に言う座右の銘的なものかもしれません。

みなさんが
先生に言われて忘れられない言葉は何ですか?