ふぃーどばっく

昔から(おそらく小学生くらいの頃から)
自分を確立している人に惹かれます。

外見や能力の有無や、ユーモアさ、などは関係なく
自分を持っているかどうかに興味がありました。

逆に言うと、いかに外見がよかったり
能力が高かったり、ユーモアがあっても
自分を持っていない人は一緒にいてもあまり面白くないなぁと感じます。

フィードバック

という言葉があります。
親から、友達から、上司から、社外の人から、投資家から、
いろんな人からフィードバックを受ける機会が世の中にはたくさんあります。

フィードバックの語源は軍事用語みたいです。
「ミサイルが標的まで正確に届いているかどうかの状況を伝える」という意味からきているようです。

軌道が逸れたら、軌道に戻るように伝え、
軌道上にいるときはそれでよいと伝える。

すなわち、フィードバックとは
標的がどこなのか?が合意されていないと成り立たないわけです。

日々の生活の中で
標的を確認せずに勝手にフィードバックする場面に何度も遭遇してきました。

例えば、
「市場価値なんて興味がない。旦那さんのサポートを全力でやって、趣味でお小遣いを稼げたり、近所のコミュニティで豊かに暮らしていたい。」
と思っている就活生に対して、
「そんな考えじゃ、市場価値の低い人間になる!もっと専門性が身につき、裁量権がある環境にいくべきた!」
などと言う人事がいたとすると

大きなお世話です。
A地点に行きたい!と考えて進路を考えている人に、
B地点に行くためには?という前提でフィードバックがなされます。

これはフィードバックなんかではなく、価値観の押し付けです。

大好きな人のサポートをしていくためにはどんな能力が必要だと思う?
もし、大好きな人と別れることになったとしたらその時はどうするの?

こういった会話は相手の標的を基準に話が展開されています。
フィードバックそのものです。

上司や部下、
友人関係
恋人との会話
取引先と

いろんな場面で”フィードバックまがい”のコミュニケーションが起きますが、

本当に標的が合意されていますか?
の確認は慎重にしないと関係性に溝ができる一方になってしまいます。

また、
私もよくそうなるのですが
そもそも自分の標的はどこなのか?
がわからなくなる時があります。

ここに行くぞ!
と思っていても、実は行きたいところは違う場所だったり、

あそこに向かっているんだ!
と思っていても
実は全く違う方向に進んでいることがあります。

フィードバッカーは
・標的はどこなのか?
・標的に向かえて進んでいるのか?
の2点をサポートすることが求められます。

フィードバックする時、
フィードバックされる時、

気をつけたいポイントです。

おせっかいになるのか、そうでないかは
標的の合意だなと感じた機会でした。

覚悟

「諦めないと決めた時点でそのプロジェクトは8割うまくいく」

とメタップスの佐藤さんが
ツイッターで昔言っていました。
(うろ覚えなのでちょっと違うかもしれませんが)

過去の経験を振り返って
本当にその通りだなと思いました。

〜できたらいいなぁ!
〜なったらいいなぁ。

くらいの覚悟だと大抵の場合達成できませんでした。

何が何でもここまではいく。
意地でも〜してやる。

と決めたものはほとんど達成していました。

去年の秋にアイアンマンに出ました。
(3.9km泳いで180km自転車乗って、42kmランニングする鉄人レース)
練習不足ではあったのですが
性格上、完走できなかったら
完走できるまでやり続けるので
何が何でも完走することだけは決めていました。

結果、ランニング中に脱水症状になりめまいが止まらず何回か吐いたり倒れたりしましたが
制限時間の20分前にゴールしました。

むかし、仕事で成果が出ず
給料がなくて家賃を滞納し、ご飯も1日1食で孤軍奮闘していた時期がありました。

だらだら頑張っても仕方ないと内省し、
今月中に〜円売上をつくる。と覚悟した瞬間がありました。
結果、達成しました。

達成できなかった時、決してサボっていたわけではありませんでした。

朝5時に起きて、夜も24時すぎまで働いていました。

ただ、覚悟がありませんでした。
こんだけ頑張ってるし、成果出るだろ!
みたいな感覚でした。
いま振り返ると、行動することで満足していました。

結局覚悟があれば達成しやすくなります。
達成できない場合強烈な悔しさが残ります。

覚悟がない場合
諦める理由がたくさん出てくるし
達成できなくても仕方がなかったなと悔しさもそんなに残りません。
達成できたらラッキーなわけです。
完全に投機です。

今の仕事にそこまで向き合えているのかな?
とハッとしました。

覚悟とはどのようにしたら持てるのか?
を考えました。

自分の過去の経験を振り返ると
内発的に覚悟が決まる場合と外発的に覚悟が決まる場合がありました。

もともと金銭欲はなかったのですが
アルゼンチンに行った時にお金がなくて南極行きを断念しました。
(南極にめちゃくちゃ行きたかった)
お金を理由に選択肢が狭まることは嫌だ。と思い、圧倒的に稼ごうと21歳の時に心に誓いました。

19歳の時にカンボジアに行って、村にいき、子供たちからいろんなことを学んで
恩返しがしたいと思い、学校建設することを決めました。

何かの体験に基づいて、内なる衝動が生まれ覚悟になるパターンです。

外発的なものは
そんなに覚悟はなくても、周りに言い続けていたら覚悟に変わってくるパターンです。

高校の時は、クラスで真ん中より下くらいの頭の良さでしたが
「京大に行く」と言い続けていたら
覚悟が後発的に生まれました。

外部に発信し続けると自分の発言と整合性を取ろうとするのであとに引けなくなっていきました。

クラウドファンディングで200万集める企画をしたことがあるのですが、
私はそのためにクラウドファンディングで200万以上集めた方5名にヒアリングしました。
どうやって200万いったのか?
どんなことをしたのか?
どんな失敗をしたのか?

実はそのあと、やっぱり企画やめようか?という話にもなったのですが

すでに5名の方がわざわざ時間を割いて情報提供してくださっていたので
僕は一人、
「僕は一人でもやります。」と言いました。

これも覚悟が決まっていたのだと思います。

どうやってやるかは分からないけど
逃げないことだけは決めました。
そんなことを言えたら勝ちなのではないかと。

経営者の人は往々にして覚悟が決まっているように感じます。

人も雇い、借金もして、逃げられない状況を作っています。

自分の覚悟はどこにあるのか?
この問いと向き合い続けます。

極めるということ

本日7/11は世界人口デーです。
増え続ける人口によって
地球の限界がきます。

複数の要素や利権がめちゃくちゃ複雑に絡み合うこの問題はどこが問題な本質なのか?と
考えても考えても途方もないなと感じます。

そんな課題に本気で向き合う宮崎の方がいらっしゃいます。
すごく面白いのでよろしければ是非。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000030554.html

ハエをとことん極め続けています。
いろんなものを犠牲にハエに使命を注いでいます。
一体どこからその熱量が生まれるのでしょうか

「私が恐れるのは、1万通りの蹴りを練習した者ではなく、たった1つの蹴りを1万回練習した者だ。」

ブルース・リーの言葉だそうです。

なんかめちゃくちゃかっこよくないですか!?(小並感)

すごい会議といういろんな会社の会議のファシリテーションやコーチングをしているのですが、
会議の始まりは必ず社長のスピーチから始めます。

「では、会議を始めます。社長、オープニングスピーチをどうぞ。」

このセリフをどんな会議でも始めに言います。

ある先輩が、
毎日100回このセリフを練習していた。

という事実を知りました。

正直、
(え、何やってるんだろう?)と思いました。

ただ一言、言えばいいだけじゃないか?
噛むところなんてないし、そんなことに時間使うくらいなら、営業とか勉強とかしたほうがよくね?

と率直に感じました。

ところがこの前、自社で会議をしている時
(その会議では私が意思決定者で、後輩がファシリテーターをしていた)

「カズマさーん、オープニングスピーチ、どーぞー。」

とものすごく軽い感じでスピーチを振られました。

その瞬間、異常なくらいやる気が下がりました。
色々話そうと思っていたことがあったにもかかわらず、

(なんかもうテキトーでいいかな)となり、
一言話して、「じゃぁ、宜しくお願いします」のように
雑なスピーチをしてしまいました。

なるほど、
司会者の最初の一言で会議の場のセットアップが全て決まるんだなと気付きました。

先輩を見ていると、
会議を始める前の場の雰囲気や、
テーブルの上が整理されているかどうかのこだわりもすごいし、

始める瞬間の
姿勢やスピード、表情、目の見開き、手振り、声のトーン、
全てが計算されているようでした。

広告のプロは文字をミリ単位で調整するようです。
東京タワーの建設において鉄骨同士がどうしても噛み合わない時があったそうですが、
その原因は15mmの誤差だったそうです。

「神は細部に宿る」と言いますが、
細部への飽くなきこだわりこそが
圧倒的な成果に結びつくのだなとひしひしと実感する体験でした。

セリフは同じでも
言い方やその場の雰囲気や
場所がどこかによって変わるものがあります。

守破離の”守”における型は、
表面上だけ覚えてすぐ”破”に移行するのではなく、
ここまで守るか?くらい型を身体と頭に染み込ませないと
破るものも破れないなと気付きました。

1つの蹴りを1万回。
自分にとっての「1つの蹴り」とは何か?

不明瞭さは生産性を下げる

仕事柄、
年間300回以上、いろいろな企業の会議をやっているのですが

多くの組織で曖昧な表現が多々使われます。

どうしてこうも曖昧な表現を好むのか?と考えてみました。

曖昧な表現日本代表
「徹底的に」「積極的に」「意識する」「気をつける」「来週までに」「月末までに」「ほぼ」「だいたい」
「がんばる」「誰か」「近々」「直近」「工夫する」「注意する」「モチベーション」「足りない」「少ない」「多い」「もっと」「もう少し」「もうちょっと」「なんか」「楽しく」「やる気」

ライターの先輩が
ライターを成長させてくれるものは「締切」だ。
と言っていました。

会議において、私は参加者に締め切りを求めます。

「いつまでにやりますか?」

明確に期日が返ってくることもありますが、

「週明けまでに」
「今月中には」
「来月半ばには」
などの答えが返ってくることがたくさんあります。

「今月中」とはいつなのか?
最終営業日を指すのか、末日を指すのか分かりません。

「半ば」なんてもってのほかです。

気をつけます!
意識します!
頑張ります!
なんとかします!

この辺の言葉も多いです。

実際に何をいつまでにどうするのかが分かりません。

具体的に行動と期日を宣言すると何か嫌なことがあるのか、曖昧に表現したほうが得られるものがあるからこのような表現が多く使われるはずです。

それは何なのか?

「7月1ヶ月間、毎日5キロ走って、7月31日までに7kg体重落とします!」

なんて具体的な宣言と期日を言ったとします。

そこには第三者のチェックが入り込みます。

昨日雨だったけど走ったの?
飲み会で飲んでたけどあの後走ったの?
今どんくらい痩せたの?

できなかった時に
やると言ったことをやらなかった自分と対面する必要がありますし、
周りには、やると言ったことをやらなかった自分が露わになります。

自尊心が傷つけられ、周りからの評価が下がる可能性があるわけです。

これは確かに嫌だなと思います。

明確な表現をすると
はっきりした責任が発生し、
自信を失い、周りからの信頼までも損なってしまう可能性が生まれるわけです。

ダイエット頑張る!
みたいな曖昧な表現をすると
いくらでも逃げ道があります。

ダイエット頑張ってるの?
→明日から頑張るの。

痩せれてるの?
→ちょっと痩せてるよ。

自分自身でどうとでも解釈できるので安全性が高まります。

明確は表現は大変なことが起きる。
という世界に多くの人がいるのだろうなと思います。

実際、はっきりものを言う人は好かれる傾向もありますが、嫌われる場合も多いです。

グーグルの研究結果で
生産性の高い会議とは
「心理的安全性が高い会議」だと結論づけられている記事があります。

ふと考えていて、
心理的安全性が高いことが高い生産性をもたらすというよりかは

心理的安全性が高いことによって
言えないことを言い会えたり、明確な言葉で会話できる(否定されたり、人格をけなされたり、自尊心が傷つけられる恐れがなくなるため)ことこそが生産性をあげているのではないかなぁ。

なんてことを思いました。
明確な表現で会話しても自尊心を傷つけられることのない組織文化をつくることこそが
組織のパフォーマンスを高める1つ、代表的な近道なのではと思った次第です。

コミュニティ力

知人に招待頂いて、キングコングの西野さんの誕生日会に参加してきました。

会場には100人以上の人が。
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実はこの会場、西野さんが髪を切っているという美容院です。
美容院で誕生日会なんてそんなこともできるんだなと感動しました。

美容院からすると認知度も上がるし、最高の顧客貢献だなと
顧客への価値貢献の幅の広がりを感じました。

会場のメインは西野さんのオンラインサロンのメンバーや吉本の芸人さんや、
少し前に話題になった「えんとつ町のプペル」制作者の方たちなど。

関西や九州から参加しに来ている人もいらっしゃいました。

ビビりました。
このコミュニティすげえなと。

聞くところによると
会員数は7000人だとか。
会員料は月1000円みたいなので
月の売上700万円です。

こんな資金集まって、業種・年代本当に幅広い人が集まっていたので
これはどんなことでもできそうだなと
「場」そのものの熱気にすごく刺激を受けました。

コミュニティの価値はものすごいことを実感したので
自分自身でもコミュニティつくることに決めました。

独自性をもった、唯一無二の面白いコンセプトのコミュニティつくるので
楽しみにしておいてください。

少しコンセプト練ります。

私は人に会った時、
「この人の脳みそにはどんな問いがあるのだろうか?」ということにすごく興味があるので

西野さんにも聞いてみました。
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「西野さんが人生を通して自分に問い続けている質問とは何ですか?」

「僕は常に小学校2年生の時の自分がどこかにいるんです。
僕は今の自分がしていること、考えていることが、小2の自分にとってワクワク・ドキドキするものであるかどうか?をずっと考えています。」

とおっしゃっていました。

小2の時に人生好き勝手生きたい!と決めて
コメディアンを志したそうです。

小2のころのなんでもできると思っていて、
どんなことにでも首を突っ込んでいく自分に
恥じない、
そんな自分が尊敬できる大人になれているのか?

そんなことを考えている。とお話していました。

自分自身の強烈な軸があって強いなぁーと思いました。

他人がどう思おうと、
世間からどんだけ批判されようと

判断基準は小2の頃の自分が憧れる生き方かどうか?ということです。

いろんな成功者の方に
「座右の問い」を聞いているのですが
誰1人として
「世間からかっこいいと思われるかどうか?」
なんて人がいません。

ちなみにすごい会議の創始者のハワードの座右の問いは
「what’s the source of success?」
(成功の源は何か?)
です。

確固たる自分自身のぶれない判断基準があって
そういう人が社会で突き抜けるんだろうなと思いました。

あなたの座右の問いはなんですか?